今月の推し本

 

『中央線小説傑作選』南陀楼綾繁編 中公文庫

           

         岡本 敏則

 

          おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 


 

  中央線を舞台にした小説ですぐ思い出すのは大岡昇平の『武蔵野婦人』です。国分寺の恋ヶ窪が舞台であった。東中野から中野までは切通しで、漱石の『三四郎』に、東中野で鐡道に飛び込み自殺をした女の話が出てくる。

 本書で取り上げられた作品は、内田百閒『土手三番町』(四ツ谷駅)、五木寛之『こがね虫たちの夜』(中野駅)、小沼丹『揺り椅子』(阿佐ヶ谷駅)、上林暁『寒鮒』(荻窪駅)、井伏鱒二『阿佐ヶ谷会』、太宰治『犯人』(三鷹駅)、吉村昭『眼』(吉祥寺駅)、黒井千次『たまらん坂』(国立駅)。尾辻克彦の『風の吹く部屋』は国分寺で娘胡桃子(小学生)と暮らす、父と娘の話。高円寺に「風呂場」を新築したので、スリッパで電車に乗って自前の「風呂」に入りに行く、帰りはパジャマに着替えてまた電車で国分寺まで帰ってくる。胡桃子が「次は何が欲しい」と聞かれ「廊下」と応える。廊下を歩いて風呂場に行きたいという。不動産屋で「廊下」を探すが、人気があり物件はないと言われる。という、ファンタジックなお話である。

 松本清張『新開地の事件』(国分寺駅)は近郊農家で農地を切り売りしたり、アパートを建てて生活をしている「農家」の話。清張らしく、舞台となった土地の在り様を詳しく述べていく。「農家」の男は50代後半、妻は10歳若い、高校生の一人娘がいて、そこに、人に頼まれ、福岡から上京してきた菓子職人を下宿させる。顔はまずいが健康で年は27歳。福岡では一応菓子職人であったが、東京で修業したいということで、洋菓子屋(西荻窪の「こけし屋」、清張は常連だった)に見習いとして入る。律義に働き、見込まれて婿養子に入る、娘は17歳。媒酌人は洋菓子屋の主人。男は独立してM駅(中野駅)に「洋菓子屋」を開く。資金は土地の一部を売った舅夫婦から。ある夜、中風になった舅が便所に行こうとしてよろめいて廊下から落ち、庭石に頭をぶつけ即死。それから1年後、今度は姑が首を絞められて縊死。婿が行方知れずになり、指名手配され逮捕される。婿は白状するが、真犯人は娘だった。婿と姑は前からできていた。舅を突き落とし殺したのは姑だったことも娘の証言で判明する。家は売られ、庭の欅も切られアパートになる。

 次に原民喜『心眼の国』を紹介する。民喜は1905年広島市に生まれる、慶応の英文科を出て作家になる。1944年妻貞恵がなくなり広島に疎開する。1945年8月6日原爆に遭う。『夏の花』を執筆。上京し吉祥寺に住む。1951年3月13日、西荻窪と吉祥寺間の線路上に身を横たえ自死する。

 

 ◎『心眼の国』=「うとうとと眠りかかった僕の頭が、一瞬電撃を受けて、ジーンと爆発する。僕は眼をみひらいて自分の感覚を調べてみる。どこにも異常はなさそうなのだ。それだのに、さっき、さきほどはどうして、僕の意志を無視して僕を爆発させたのだろうか。あれはどこから来る・・・僕のこの世で成し遂げなった無数のものが、僕のなかに鬱積して爆発するのだろうか。それとも、あの原爆の朝の一瞬の記憶が、今になって僕に飛びかかってくるのだろうか。僕にはよくわからない。僕は広島の惨劇のなかでは、精神に何の異常もなかったと思う。だが、あの時の衝撃が、僕や僕と同じ被害者たちを、いつかは発狂さそうと、つねにどこかから狙っているのであろうか。」「ここは僕がよく通る踏切なのだが、僕はよくここで遮断機がおりて,暫く待たされるのだ。電車は西荻窪の方から現れたり、吉祥寺方面からやってくる。電車が近づいて来るにしたがってここの軌道は上下にはっきり揺れ動いているのだ。人の世の生活に敗れて、あがいてももがいても、もうどうにもならない場に突き落とされている人の影が、いつもこの線路のほとりを彷徨っているように思えるのだ。」「雪の上を歩いているうちに、僕はだんだんこころに弾みがついて、身内が温まってくる。ひんやりした空気が快く肺にしみいる。(そうだ、あの広島の廃墟の上にはじめて雪が降った日を、僕はこんな風な空気を胸いっぱいすって心がわくわくしたものだ。)僕は雪の賛歌をまだ書いていないのに気付いた。」「僕は自分の家にいた。が、僕は自分がどこにいるのか、わからなくなった。ぐるぐると真っ赤な炎の河が流れ去った。すると、僕のまだ見たこともない奇怪な生き物たちが、薄闇の中で僕の方を眺め、ひそひそと静かに怨じていた。(あのおぼろげな地獄絵は、僕がその後、もう一度はっきりと肉眼で見せつけられた広島の地獄の前触れだったのだろうか。)僕は一人の薄弱で敏感すぎる比類のない子供を書いてみたかった。一ふきの風でへし折られてしまう細い神経のなかには、かえって、みごとな宇宙が潜んでいるようにおもえる。」「僕はいましきりに夢見る、真昼の麦畑から飛び立って、青く焦げる大空に舞のぼる雲雀の姿を・・(あれは死んだお前だろうか、それとも僕のイメージだろうか。雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そしていまはもう昇ってゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃焼がパッと光を放ち、既に生物の限界を脱して、雲雀は一つの流星となっているのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心眼に違いない。一つの生涯をみごとに燃焼し、すべての刹那が美しく充実していたなら・・・)

〈佐々木基一への手紙〉ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思います。僕は今誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と死別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だったような気がします。岸を離れて行く船の甲板から眺めると、陸地は次第に点のようになって行きます。僕の文学も、僕の眼には点となり、やがて消えるでしょう。去年、遠藤周作がフランスへ旅立った時の情景を僕は憶い出します。マルセイユ号の甲板から彼はこちらを見下ろしていました。桟橋の方で僕と鈴木重雄とは冗談を云いながら、出帆前のざわめく甲板を見上げていたのです。と、僕にはどうも遠藤がこちら側にいて、やはり僕たちと同じように甲板を見上げているような気がしたものです。では御元気で・・・。