今月の推し本

 

 岡本 敏則            おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 

 

 

 

          『なぜ建築家は無茶をするのか』 田研祐 草思社            

           


 上野駅の公園口から公園に入っていくと、右側にル・コルビジェ設計の西洋美術館があり、左側に弟子の前川國男設計の東京文化会館がある。師弟の建築が向き合っているのだ。「コルビジェの設計で、施主が幾度も苦言を呈し、訴訟を起こす寸前にあっさり立ち退いて二度と帰ってこなかった住宅がある。コルビジェは自分で良くできたと思っているから、これが解体されそうになった時、彼自身が国際的に運動を起こしてフランスの『文化財』に指定させた」。こんな調査がある。「雑誌『建築文化』誌で以前特集を組んで、約50人の建築家や評論家に、『ベスト10』と思われる住宅を選んでもらって集計したら、『ベスト10』のうち8軒がその建築家の自邸だったのだ」。「邪魔な施主がいないからである。だから思い切り『自分が良いと思うこと』ができたのである。だから傑作ができたのである。本人はちっとも無茶だとは思っていないし、邪魔な要求をされないからつくりたいように作っただけの話だ」。著者の吉田研介氏は1938年生まれ、早稲田大学の建築学科を、学部、大学院で学んだ。202457年続いた「吉田設計室」を閉鎖した。著書に『コルビジェ嫌い』等がある。本書は隈研吾、安藤忠雄、ザハ・ハディド、ヨーン・ウツソン、清家清、東孝光、菊竹清訓、吉阪隆正の8人の建築家について語っている。語り口は辛口だ。

 

 ◎隈研吾=設計した「広重美術館」の屋根に並べた木が腐食して、その修復に3億円かかると騒がれている。建築で使う木材は極力雨に濡れないように工夫するのが常識だから、屋根に並べたら腐るに決まっている。隈研吾が木に注目した理由、「日本の中から世界に発信できる人になることが必要で、目立つ建築をつくろう、目立たないと建築家になれないと思っていた。安藤忠雄さんはコンクリート打ち放しをやっているから、僕はコンクリートをやりたくない。磯崎(新)さんとか、伊藤さんとかがやっていることも、もちろんかっこいいし、よい建築だと思うけれど、自分は違うなと思っていた。そうすると、現代建築で木をやった人がいないと思ったわけです」。美術館の改修工事は、隈事務所の提案を受けて、2000万円ほど割高だが、実際の木の格子を使わないで、耐久性に優れたアルミ製の建材で代用した。アルミ板に木目をプリントして、角材のように見せかけて、作り直すことになった。アルミの角パイプに木目をプリントして木造に見せかけるのは、隈氏は、すでに「新国立競技場」でお馴染みだ。あの外部から見上げるタルキは、その木材の産地の方向に向いているといわれて産地では喜んでいるが、高層階の木材に見えるルーパーはアルミの角パイプなのだ。
 

 ◎ザハ・ハディド=レバノンで数学を学び、ロンドンのAAスクールを1976年に卒業した。「新国立競技場」のコンペで2012年一等入選になった建築家だ。審査委員長を務めた安藤忠雄が言った。「今のニッポン、みんな元気がないから、元気が出るびっくりするような建築を選びました」。施工においても「現代日本の建築技術の粋を尽くすべき挑戦となる」ものだった。この彼女の案は計画の段階で、どこかのゼネコンが概算を出してみたら二倍か三倍になって、「これは大変」と世間も騒ぎ出し、社会問題にもされて、連日TVのワイドショウーのネタになる始末。ひとの足を引っ張ることを得意とするひとが次々に現れて批判するようになった。建築は金と政治に弱い。前回のオリンピック施設「代々木総合体育館」は丹下健三氏が倍近いオーバーを田中角栄に直談判して、追加予算を引き出したことは有名で、その結果世紀の傑作を残すことになったが、今回は「丹下健三」も「田中角栄」もいなかった。逆に、東京大学の本筋の「リーダー」槙文彦氏が先頭に立って笛を吹き始めた。「神宮の森に、これは大きすぎる」と言い出して、建築家はみんな笛についていった。「ザハの案、ハンターイ!」槙文彦氏に言われれば、何かよくわからなくても、建築家百人の署名が集まった。建築界には、それでも、何人かは「この案で建てるべき」と叫ぶ建築家はいたが(私その一人)、そんな声、大勢を相手に届くはずはなかった。そしてとうとう予算オーバーを理由に安倍首相が出てきて、なんと「白紙撤回」してしまったのだ、あきれるばかりの、国際的にも恥ずべき結果になった。「一度決まったものを平気でひっくり返す国」と言われてしまったのである。JOC会長の森喜朗が言ったそうだ。「国がたった2500億円も出せなかったのかという不満は残る」政治の裏を知っている人のことばで、意味はあるが効力はなかった。ちなみに初めに計画されていたオリンピック・パラリンピック招致時の見積もりは、総額7340億円だった(会場誘致の時の提示額)。ところが、オリ・パラが終わったとき、初めの予算の二倍を超える、1兆6440億円になっていた。そして耳を疑うようなニュースが入ってきた、「2016331日マイアミ病院で、ザハ・ハディド心臓発作で死去」。出来の悪いドラマの下手糞な結末を見るようで、なんとも後味の悪い結果に終わった。だから、そのあとの伊藤豊雄と隈研吾の「二人コンペ」に関心を寄せる建築家は少なかったのではないか?そしてその結果にも、槙さんの笛について行った建築家も、興味は失せていた。そして「世紀の最期のコンペ」は終わったのである。*新国立競技場はご承知の通り隈研吾氏の設計による。