「盛岡だより」(2026.6)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
田植えと「水無月」
先月(5月)14日のことである。ある会合に出るために県南に車を走らせた。盛岡の市街を抜けて田園地帯を走ると、代かきの終わった田んぼの水面が赤く染まった西空を映し出していた。すぐ隣の田んぼは田植えが終わっている。
数日前にも出かけていたが、そのときは田起こしの耕運機が見えるだけだったから、(えっ、もう田植えが始まったの?)とその早さに驚き、すぐに「水無月だっけ?」と自問した。
各月には和風の月名がある。この名を覚えるために、仲睦まじく正月を迎えるから睦月(1月)、まだ寒くて重ね着をするから如月(2 月)、草木が茂ってくるから弥生(3月)というように覚え、5月は「サツキ」の花が咲くからと暗記していた。
6月の「水無月」の暗記は、「田植えのために水を張るから」だった。「水無月」の語源には、文字の通り「暑さで水が干上がる月」という説もあるが、「無」は助詞の「の」で「水の月」と解する説が有力なようだ。とすると10月の「神無月」も同様に「神の月」ということになる。稲は田植えから出穂(しゅっすい)までが最も水を必要とする時期であるし、「水張り月」という別名もあるから「水の月」とするのが妥当であろう。
昭和30年代、私が小学校のころには1週間の「田植え休み」があって、それは6月半ばで、7月に入ると苗代の苗が伸びすぎて田植えがしにくくなるから、できるだけ6月中には終えるといっていた時代だった。だから、「田植え=6月」と反応してしまうのだ。この戸惑いは毎年である。
戸惑わないように覚え直さなければならない。イメージを「田植え」から「水のある田んぼ」に変えればよいだろうとそのつど考えたが、そうはいかないのだ。
稲作は、昔に比べて作業開始が1か月以上早く始まり、半月かかっていた作業は機械化で4、5日で済むようになった。
稲は、田植えから2か月ほどで穗を出しすぐに花を咲かせる。今植えた苗は、旧暦の 「水無月」のころには花を咲かせるのだ。もう、そのころには「水の月」というイメージはない。
日本が新暦に切り替えたのは、1873(明治6)年1月1日からで153年しか経っていない。日本人はその10倍以上も旧暦で生活してきている。そのなかで名付けられた月名は、日本の季節と日本人の生活習慣に裏付けられた秩序あるものだった。田植えを早めた要因が人間の手によるものだとすれば、その秩序を崩したのも人間ということになる。
空梅雨(からつゆ)で「五月晴れ」があいまいになり、「葉月(8月)」に紅葉は早すぎる。霜月(11月)には、霜が降らずに雪が降る。マッチしない俳句の季語も増えている。季節の崩れは、書き出せばきりがない。もう、自然そのものがダイナミックに崩れ始めた気がする。それが人間のせいならば悲しいことだ。