前田功            昭和サラリーマンの追憶

                                                                                

  

      戦後80年、かつての師アメリカの変貌

       


 

 

 まえだ いさお 

元損保社員 娘のいじめ自殺解明の過程で学校・行政の隠蔽体質を告発・提訴 著書に「学校の壁」 元市民オンブズ町田・代表 


 

  私は、昭和20年、終戦の年に生まれ、その翌年、日本国憲法が施行された。私の人生のすべては、戦後民主主義の中にあると言える。

 20 数年前、この「損保のなかま」で、私を『非国民の子』というタイトルで紹介してくれたことがある。その筆者は私と同い年で既に亡くなられた方だが、そのタイトルの真意をこう語ってくれたのを思い出す。「昭和20年生まれということは、ご両親は戦争の真っ最中に、あなたがお母さんの胎内に宿る行為をしていたわけだ。だから『非国民の子』なんだよ」と。死の影が色濃く漂う戦時下で、生を謳歌し、命を繋いだことへの、皮肉を込めた、しかし最大の賛辞であったと理解している。

 

 敗戦後の日本にとって、アメリカは単なる占領軍ではなかった。焼け野原に立ち尽くす日本人に、光を投げかけてくれた民主主義の「先生」だった。

 先生は教えてくれた。「王を権力の座から下ろせ。主権を国民の手に取り戻せ。法は権力を縛るためにあるのだ」と。GHQが指令した「女性への参政権の付与」「労働者の権利の保障」「教育の民主化」「治安維持法や特高警察の廃止」「財閥解体や農地改革」は、日本社会の民主化を急速に進める原動力となった

 「与えられた民主主義」だと揶揄する声も、確かにあった。しかし、あれは、紛れもなく「いいもの」だった。アメリカが持ち込んだライフスタイルは、夢をもって生きるための、そして生活向上のためのモチベーションとなった。そして、日本は「高度成長」を迎え、「一億総中流」意識という安定した政治的土壌の中で、民主主義が育っていった。

 

 ところが、今、海を越えて伝わってくるかつての「先生」アメリカの姿は、見るに耐えないほど変わり果てている。

 かつて「法の支配」を説いたその国の大統領が、今や「私に国際法はいらない」と言い放ち、国連憲章を無視した内政干渉や軍事介入を繰り返している。宣戦布告の権限を持つ議会を軽視し、大統領令を武器に独走するその姿は、法の守護者ではなく、中世の絶対君主の再来を思わせる。

 側近を熱烈な忠誠者や親族で固め、大言壮語の裏に子供じみた承認欲求を透けさせるリーダー。そこに「民主主義のリーダー」としての尊厳はない。あるのは、法の隙間を縫って誕生した、できの悪い「王様」の振る舞いである。

 

 かつてGHQのスタッフたちが、明治憲法の欠陥を指差し、「聖域(法が及ばない場所)を作るな」と厳しく諭した叡智を、現在のアメリカはどこへ捨て去ったのか。法を軽視し、自らを法の上におこうとするその姿は、我々がかつて決別したはずの「明治の亡霊」そのものではないか。

 戦前の日本が「神聖なるリーダー」への狂信によって破滅した歴史を糺したはずのアメリカが、今や自ら、その「熱狂の罠」へと足を踏み入れようとしている。大統領が免責の鎧をまとい、国民を分断して「王」として振る舞う姿を見るのは、戦後民主主義を信奉してきた者として、失望を禁じ得ない。明治日本が「統帥権」という穴から暴走を許したように、現代のアメリカもまた、制度の隙間から「選ばれた絶対君主」を誕生させ暴走しようとしているのだ。

 

 わが国日本の変節にも、憤りを感じる。私の人生の後半、日本国憲法の平和主義は、歪められ続けてきた。安倍政権による集団的自衛権の容認、そして現・高市政権が進める武器輸出の拡大。これらは、かつて私たちが「いいもの」として信じてきた平和憲法の精神を、ないがしろにしようという行為だ。

 トランプ氏と歩調を合わせるかのような現政権に対し、毅然とした批判を向けるどころか、強権的なリーダーをアイドルのように信奉する国民が溢れている。そこには、自らの思考を放棄し、強いものに身を委ねる「内発的隷従」の影がちらつく。

 「非国民の子」として生まれた私が、80 年をかけて歩んできた道の先が、再び戦火の予感に怯える場所であっていいはずがない。

 

 戦後80 年、日本は、ずっとアメリカという背中を追ってきた。たとえ始まりが「与えられたもの」であったとしても、私たちが守り続けてきた民主主義の灯火を、今度は本家アメリカが失おうとしている。

 先生のいなくなった教室で、戦後民主主義の危機を痛感。そんな感じがする。