守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


 2月8日、衆議院選挙の開票速報を母とテレビで見ていた。

 まるで悪夢のように選挙区地図が赤(自民党)で埋まっていく。私の住む東京9区で菅原一秀の当選確実が伝えられると、母は文字で表せないような悲鳴を上げて、「もう寝る」と二階に上がってしまった。私はその後も10時過ぎまで見続けたのだが、沖縄1区の赤嶺さんが及ばなかったのを知ってテレビを消した。気持ちが高ぶってとても眠れそうにないから書道の練習でもして落ち着こうとしたのだが、怒りのためか落胆のためか手が震えて真っ直ぐな線が引けないので早々にやめ、ヒトラーもこうやって政権を握ったのだろうなと思いながら寝た。
 翌朝は新聞も読みたくなく、ニュースも見たくなく、いわゆる「さな鬱」の状態だったけれど、辺野古埋め立て抗議の日なので我が身に鞭打って重い足取りながら出かけた。私たちが意気消沈しているのを見て喜ぶ奴がいるのだろうと思うと、それが悔しい。仲間たちも同じ気持ちでいつも通り集まった。こんな時、信頼できる仲間がいるのは本当に心強いことだ。夜はイスラエル製ドローンの入札参加に反対して防衛省前でハンストをしている「虐殺に反対する防衛大OBの会」と武器輸出反対ネットの集会。
 その二日後には、日本山妙法寺のお坊さんから手紙が届いた。「闇の深きを怖るるな。そは夜が明ける兆しなり。」と書かれていた。きっと私がくじけているのではと心配してくれたのだろう。有難いことだ。早速返事を書き、闇の中の蛍でありたいと綴った。
 13日金曜日は、いつもの辺野古埋め立て抗議、朝鮮学校差別に反対する文科省前行動、経産省前脱原発テントひろば、柏崎刈羽原発再稼働抗議。重たい心を抱えながら、やっぱり声を上げ続ける人々がいる。私だけやめるわけにはいかないと強く思った。
 14日土曜日には、武器取引反対ネットの杉原さんが自宅近くで講演するので聞きに行った。日本政府が国民年金の資金でイスラエルの赤字国債を購入し間接的にガザ虐殺に加担していること、装備移転円滑化基金というのがあって三菱重工や川崎重工などの軍事産業を支えていることを知り怒りがこみあげてきた。スパイ防止法に反対するリーフレットを配っていたので、もっとたくさんほしいと言ったら、早速翌日には100部送ってくれた。
 15日は大泉生協病院西南支部の新春のつどい。「青い空は」、「手のひらを太陽に」などを50人ほどで合唱。「こうして好きな歌を楽しく歌えるのも平和だからこそ。スパイ防止法に反対しましょう」と訴えると、参加者が大きくうなづいてくれた。午後は疲れて昼寝。
 16日月曜日、しんぶん赤旗1面を見て怒り心頭。なんと米国は2017年7月に辺野古新基地は滑走路が短いから普天間基地と両方を保持したいと明らかにしていたのだ。辺野古の土砂投入が始まったのは2018年12月だから、日本政府は着工の一年以上前から普天間が返還されないだろうことを知っていたのだ。なぜこれが選挙前に報道されなかったのか。どこまで姑息で卑劣なのか。憤然として首相官邸前に向かう。夜はまた防衛省前の集会に参加。
 19日木曜日は恒例の戦争させない・9条壊すな総がかり行動。その前に父が入っているお寺の納骨堂に行く。近くの早稲田奉仕園というバプティスト教会のギャラリーで開催されていたアレクセイ・ナワリヌイさんの写真展にも立ち寄った。小さいけれど落ち着いた雰囲気の会場では、他に来場者がいなかったせいかロシア人の女性が熱心に説明してくれた。ナワリヌイさんはユーモアのある人で、市民との対話でもよくジョークを言って笑わせていたそうだ。弾圧されても、逮捕されても、毒殺されそうになっても、市民が恐怖を感じて委縮しないように、いつも穏やかにしていたという。私はこんなに毅然としていられるだろうかと自問。日本もこんな監視社会になってしまうかもしれないと話していたら、ギャラリーにスパイ防止法のリーフレットを置かせてもらえることになった。また一つ繋がりができた。
 総がかり行動は久しぶりに4桁の参加者で、永田町駅前まで人が並んだ。仲間の一人は感激して涙ぐんでいた。30代40代の人、初めての人も多く、数人から「動画を撮らせてください」と言われ、もちろん快諾。この日は、師匠のTさんの一周忌でもあった。Tさんがこんなにひどい日本を見なくて済んでよかったとも、こんな時だからこそ一緒に歌いたかったとも思う。
 20日金曜日、沖縄からジュゴン保護キャペーンセンターの吉川秀樹さんが加わっての辺野古埋め立て抗議。歌い終わったら吉川さんが「芭蕉布」は僕の親父が書いた詞だというので、「え!お父さんってあの吉川さん?」。吉川安一さんは教育者で詩人。沖縄県立図書館長や名桜大学名誉教授を務め、戦後沖縄の教育・文化行政に貢献した人だ。昨年85歳で亡くなられた。「ここで歌ってもらって、親父も喜んでいるだろうなー」と言われて、なんだか誇らしい気持ちになる。
 それからいつものように文科省、経産省、原発いらない金曜行動、未来のための合唱とフルスケジュールをこなして帰路に就く。 
 あー、疲れた!でも気が付いたら「さな鬱」なんかどこかに吹き飛んでいた。
 苦しい時こそ動こう。心が重たい時こそ仲間と歌おう。こんな時代になってしまったけれど、まだまだ希望があると信じられるから。