高市政権になってからテレビを見ることが減った。もともとテレビ好きではなかったけれど、最近はニュースや報道番組を観ていても、腹が立ったり、気持ちが重たくなったりすることが多いからだ。その分、本を読む時間が増えた。
最近読んだ本の中で感銘を受けたものの一つは、鎌田七男さんの著書「爆心を見つめて」(宮崎園子共著、朝日新聞出版)だ。昨年8月にNHKで放送された特別番組の書籍版で、鎌田さんは、広島の原爆の爆心地から500m以内で奇跡的に生き延びた78人の被曝者を半世紀以上にわたって診療してきた医師である。広島出身ではなく満州からの引揚者で、広島大学医学部に入ったことから縁あって「近距離被曝者」の治療と研究に携わってこられた。医師として、科学者としてばかりでなく、2001年から2017年まで原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の園長として被爆者と共に暮らしてきた人間としても尊敬に値する人だ。また、ANT被爆者体験継承塾で多くの人に原爆の被害を伝える活動もしているし、チェルノービルにもフクシマにも行かれ、被曝者集団訴訟の際にも貴重な証言をされた。著書の中では、被爆の種類や放射線による医学的知識がわかり易く説明されている。
私が特に強く共感したことの一つは、被爆を「生涯虐待」という言葉で表現していることだ。一度被爆してしまったら「いつ発病するか」と常に不安にさいなまれる、「結婚しない方がいいのではないか」、「子どもを作らない方がいいのではないか」と悩み、子どもが無事に生まれても「子や孫に影響が出るのではないか」と心配する。もし、癌や白血病などを発症したら肉体的、精神的ばかりでなく、経済的にも大きな負担をかけられる。更には、社会の無知と偏見による差別にも苦しめられる。私の知っているある被曝二世は、父親が亡くなって遺品の中に被曝者手帳を見つけるまで、父親が被爆者だったということを知らなかったそうだ。このお父さんは、子どもや孫が差別を受けることを恐れて、亡くなるまで口を閉ざしていたのだろう。生涯に渡って苦しみ続けたのだろう。
もう一点は、「核の平和利用」という言葉についてだ。原発は「核の軍事利用」ではないからと言って、「核の平和利用」というのはあまりにも安直ではないか、そうではなく「核の商業利用」と呼ぶべきだと書かれている。私は、核はそこにあるだけで人の命を脅かすのだから、原発を「平和利用」というのはおかしいと常々思ってきた。それでも「商業利用」という言葉は思いつかなかった。この言葉を読んで、原発がなぜ危ないのかストンと胸に落ちた気がした。商業利用ということは、金もうけのために核発電をするわけだから、電力会社は当然コストを減らす。未熟練労働者に過重で危険な労働を低賃金でさせる。労働者や地域住民の健康など二の次で安全管理の費用を節約する。事故が起きても責任は取らず、補償や賠償は極力出し惜しむ。これはまさに東京電力がやっていることではないか。柏崎刈羽の再稼働など、決して許してはならない。