「盛岡だより」(2025.11 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                     岩手の「寅さん」

 


 映画「男はつらいよ」のシリーズは、1969(昭和44)から始まり1995(平成7)年までの26年間に48作が撮られた。30作を超えた時点で映画シリーズ(作品数)としてギネスブックに登録された、国民的人気の映画である。

封切りがお盆と正月になったのが、1971(昭和46)年の第8作目からで、私が30代のころは、お正月映画といえば『男はつらいよ』だった。

テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす。毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして、いつも成就しない。そんな寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描く人情喜劇の映画である。

主人公の車寅次郎は、全国を渡り歩くテキのお兄さんだから、物語のロケ地も全国に及ぶ。全作中、岩手県がロケ地になったのは、1984(昭和59)年8月4日公開の、第33作『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』の1作である。この作品のマドンナは風子(中原理恵)である。

この映画が公開されたとき、私は東京勤務になったばかりで、ロケ地が盛岡だったことを知らなかった。しばらくして、それを知り、レンタルビデオで観た。

オープニングロールで主題歌が流れるときの映像が、「鬼剣舞」と「チャグチャク馬っこ」で、作品中で寅次郎が啖呵売りしているところが盛岡城趾公園、ここで出会う舎弟の住まいが紺屋町の裏通り、中津川畔の上ノ橋に近いところだった。岩手山をバックに映る踏み切りは、八幡平市の大更付近で撮ったらしい。

物語は、寅さんが夢の中で波止場の夜霧にむせて目が覚めところから始まる。寅さんが寝ていたのはお寺の鐘楼。近くでおばあさんが焚く煙にむせて目覚める。そのときの寅さんのセリフが、「焚火なんかするなよ、おばさん。あー煙い……」だった。そして、立ち上がり、「あーあ、むせちゃったよ」だった(気がする)。

その鐘楼と寺の風景に見覚えがあった。我が家の菩提寺に似ていたのだ。もしかしてと調べたら、やはり生家の菩提寺「願圓寺」(紫波町片寄)だった。

後年、妻、母、父を見送ったが、そのたびに、この寺に世話になった。寺には、今でもロケ風景の写真数枚が長押(なげし)に掛けられている。。

警察白書では、「テキ屋は暴力団の起源の一つ」で戦後の混乱期には覚醒剤の密売などの違法行為を行っていたと記し、平成以降も「集団の威力を背景に、集団で常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある」と定義している。

だが、憎めないテキ屋の「寅さん」が社会に許容され、映画の主人公になることができたのは、昭和の時代だったからではなかったか。昭和の時代には、「寅さん」を一人の人間として認める風潮があり、社会にはそれだけのおおらかさがあった、と私は思うのである。

令和となった今の世情は、寅さんのような人物を受け入れてくれるだろうか。たぶん、「異端」として排斥されるのではないだろうか。

ずいぶん窮屈な時代になったものである。