守屋 真実 「みんなで歌おうよ」
もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏
読者の皆様、明けましておめでとうございます。
良き一年になることをお祈りします。
…と書き始め、新年だから何か明るい話題をと思って2025年を振り返っている。
何か楽しいことがあったっけ?嬉しいことがあったっけ?うーん、思いつかない。
世界はトランプにかき回されているし、ヨーロッパや南米でもポピュリスト政権が誕生しているし、夏以降ずっと寒暖差疲労とやらでいつもだるかったし、熊が怖いから山にもいかなかったし、物価は上がるばかりだし、高市政権になって急速に右傾化しているし…。楽しい思い出のない一年なんて、なんて悲しいことだろう。
唯一良かったと思うのは、通信制の書道を始めたこと。両親が達筆だったので、子どものころから字が上手な人ってかっこいいなと思っていた。60歳になって仕事を辞めたら書道を始めようとずっと思っていたのに、60になっても65になっても悠々自適には程遠い生活で書道どころではなかった。昨年の初めに新聞に「今なら入会金無料」というのを見つけて、これを機に申し込んだ。予定より7年も遅くなったけれど、何かを始めるのに遅すぎるということはないと思う。
通信制だと自宅で夜中にでも練習できるので、私には都合が良い。あたりが寝静まった時間帯に一点一画に集中するのは一種の瞑想のようで、仕事のストレスも政治への怒りも忘れることができる。もう一回、もう一枚と思っているうちに夜が更けて、睡眠不足の原因にもなっているけれど。
書道で思い出したことがある。いつのことだか母も正確には覚えていないのだが、父が熱を込めていたから、原水協が分裂した65年前後のことではないかと思う。
ろうけつ染めが上手な母の指導で、近所のおばさんたちが集まり原水協の幟を作った。ろうけつ染めとは、木綿の布に溶かした蝋で文字や絵を描き、それを染料につけて色を染める。乾かしたら、何枚も重ねた新聞紙に挟んでアイロンをかけて蝋を溶かす。いったん洗って、また乾かし、それを幟に縫い上げる。この作業を狭い社宅の我が家で始めたから、もう足の踏み場もないほどだった。どうやって寝起きしていたのだろうと思う。染料を湯船に溶かしたから、お風呂は近所にもらい湯に行った。原水協分裂のいきさつを紐解くと、首をかしげてしまうこともあるのだけれど、みんなが集まってワイワイ、ガヤガヤ、手分けして作業に取り組んでいる風景は楽しかったと記憶している。現代のようにネットで注文すれば、旗でも幟でも数日で配送されてくる時代ではなかったから、文字通り手作りの幟旗だ。この時筆を執ったのは父だった。一枚は今もとってある。
これを書きながら、思いついて探し出してみた。もっと骨太の勢いのある字を想像していたのだが、意外と整った几帳面な字である。被爆者として、どんな気持ちでこれを書いたのかなと思う。
首相官邸の高官が「日本も核兵器を持つべきだ」との私見を述べたという。本当にこの国はどこまで狂っているのだろう。世界で初めての戦争被爆国を隠れ蓑にして被害者ぶり、加害責任をごまかして来た。核廃絶の先頭に立つべき国なのに、米国の核の傘に入り核兵器による抑止を肯定してきた。今度は自分たちが核の加害者になるつもりか。
ちっとも明るい話題にならなかったけれど、もっと書道の練習をして、いつかでかでかと横断幕に「非核三原則を護れ!」と書けるくらいに腕を上げたいと思っているのが、私の今年の抱負である。