前田功            昭和サラリーマンの追憶

                                                                                

  

        カネ貰えるジムでストレスフリーに

       


 

 

 まえだ いさお 

元損保社員 娘のいじめ自殺解明の過程で学校・行政の隠蔽体質を告発・提訴 著書に「学校の壁」 元市民オンブズ町田・代表 


 朝、マンションのゴミ置き場を整理し、エントランスを掃き清め、住民と挨拶を交わす。これが現在の私の仕事である。週に4~5日、午前中だけ。適度に体を動かし、敷地内を歩き回り、階段を昇り降りする。おかげで心身ともに健康だ。これだけの有酸素運動と認知機能のトレーニングをこなしながら、毎月、10数万円のお金が私の口座に振り込まれる。「カネをもらって、最高のジムに通っているようなものだ」と思っている。これは「利権」なのかもしれないとさえ思う。

ところが、元同僚や知人の中には、「大企業の管理職をやった男が、マンションの管理人なんて」という視線を送ってくる人がいる。彼らは定年後、現役時代の栄光を捨てることができず、家で暇を持て余している。その哀しきプライドを思うと、私は日本の労働社会が植え付けた呪縛の深さを感じる。

なぜ、彼らは、管理人という仕事を「恥ずかしい」と思うのだろうか。その理由は、彼らが現役時代に身を置いてきた仕事の「構造」にある。現代のホワイトカラー、とりわけ大企業や官僚組織の仕事の多くは、「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」に侵されている。

 社内向けの膨大な報告書の作成、誰が読むかもわからない会議の議事録、組織のメンツを保つためだけの調整、そして上層部へのアリバイ作り。あってもなくても社会の誰も困らない、むしろ存在しない方が世の中がスムーズに回るような「無意味な仕事」のために、多くのホワイトカラーが貴重な時間と精神をすり減らすよう強いられてきた。その無意味な仕事に耐えるための心の支えが、組織内での「出世」であった。自分の仕事に本質的な価値が見出せない構造だからこそ、ヒエラルキーの記号(役職)にしがみつくしか、自尊心を保つ方法がなかったのだ。つまり彼らは、現役時代に「会社の看板」を自分の「生身の皮膚」だと思い込まされるほど、組織にアイデンティティを捧げさせられてきた被害者なのである。だからこそ定年後に看板を剥がされると、自分が裸になったように怯え、他者の目を過剰に気にしてしまう。

マイケル・サンデル教授が指摘する「能力主義(メリトクラシー)信仰」もまた、彼らを縛り付ける社会の罠だ。「成功したのは自分の実力であり、低い地位の者は自己責任だ」という傲慢な考え方を、幼い頃から刷り込まれて育っている。大企業の幹部だった男たちが管理人を見下してしまうのは、彼ら自身がこの能力主義の優等生として、社会から徹底的にマインドコントロールされてきた結果にほかならない。

 偉そうなことを言っている私自身、かつてはその組織の論理に組み込まれかけていた。しかし、娘のいじめ自殺の事実を学校や教育行政によって組織的に隠蔽され、それらと必死に闘う中で、私は思い知った。「組織というものは、人間を守らない。それどころか、組織を維持するために個人の良心や人間性を平気でスポイルするものだ」という冷酷な現実を。この闘いの過程で、私は会社組織に対しても批判的な言論を展開したため、社内では「アンタッチャブルな危険分子」と見なされた。昇進競争のレールからは外れ、いわゆる「部下なし管理職」として、一人で判断して完結する独立独歩の仕事をすることになった。今振り返れば、これが私の救いとなった。組織の虚妄に騙されることなく、早い段階で「会社の看板」ではなく「自分の足」で立つ訓練ができた。これが、65歳で完全に組織を離れた後の生活に繋がっていった。

 

 マンションの管理人は、社会を実際に動かしている「エッセンシャルワーク(必要不可欠な労働)」である。もし世の中からホワイトカラーの会議や報告書が1ヶ月消えても、社会は何の問題もなく回るだろう。しかし、ゴミの収集やマンションの清掃が1週間いや1日ストップしても、人々の生活は大きな混乱に陥る。そういう点で、こういう労働こそがもっと社会的に高く評価され、リスペクトされるべきなのだ。

ただ、エッセンシャルワークには特有の厳しさもある。私自身の都合で現場に行かなければ、住人やゴミ収集の人たちに多大な迷惑がかかる。「休みたいときに休めない」という過酷な義務感は、それ自体が大きなプレッシャーになり得る。

だが、その点において私は非常に恵まれている。私の所属する会社は、何百人もの従  

業員全員が「管理人代行」という特殊な組織なのだ。他のマンション管理会社で欠員や休暇が出た際にピンチヒッターを派遣するのが主業務だが、人手不足の昨今、私のように何年も同じマンションに固定で入ることも多い。そして、自分がどうしても休みたい時には、別の代行員がパッとその穴を埋めてくれる。今の私にとって、現役時代と比べて「ストレスが一切ないこと」が最大のメリットである。そしてこの代行システムこそが、私のストレスフリーな生活を支えてくれている。エッセンシャルワークとしての社会的責任はしっかりと果たしつつも、「自分が穴をあけたら大変なことになる」というストレスからは、この仕組みによって解放されているのだ。

 属人化を排除し、働く者が過度な負担を負わずに社会に貢献できるこの仕組みは、過剰な責任感を個人に押し付けがちな日本の労働社会に対する一つのアンチテーゼでもある。