暇工作 「加害者も労働者」説にどう対応する?

       ひま・こうさく 個人加盟労組アドバイザー        


 パワハラと闘って、個人加盟労組へ加入した二人の女性と久しぶりに顔を合わせた。二人とも子育てや、夫の世話にも手が抜けない性格だから、会議のローテーションがなかなか合わず、暇とはすれ違いの事も多い。

「おひさしぶり。どう、元気?」「はい、元気です。」声が明るい。「職場はどうですか?」「それが、とてもうまくいってるんです。私たちはもちろん、職場の皆さん、とても晴れやかに、ご機嫌な毎日です」「パワハラがなくなったから?」「そうです。その張本人の〇〇長が他の部署に異動となったので」。二人とも心ウキウキといった風情で実に楽しそうだった。会議後の飲み会でも、酒量、留まるところを知らず、といった具合。

 どうも、加害責任者の「異動」が勝利ポイントとして職場の共通認識になっているようだ。

パワハラ、セクハラなどの加害者を、会社の人事異動というシステムの中で会社自らが誰が見てもわかる形でけじめをつけざるを得ないところまで追い込んだ結果とその可視化は、理屈抜きでインパクトがある。会社は「通常の人事異動」というタテマエを崩さないだろうが、それで結構だし、加害者が受けた異動(処分?)に下手な同情も不要だ。

 実は、加害課長などが会社からこの種の「処分」を受け、一件落着の姿を見せることに、「課長といえど、同じ労働者。生活も抱えている味方だから、可哀そうだ。敵視するのは間違いだ」という説がある。時代は遡るが、暇は同様のたたかいを経験したことがある。少数派労組組合員が、職場の女性たちの反パワハラ闘争に手を貸し、加害者の課長を他の職場へ「追放」したたたかいだ。その際にもこの言説で闘いを非難した人がいた。他社の労組幹部である。彼は、暇たちが少数派を差別する「賃金差別反対訴訟」を起こし、訴状で上司の差別的評価や行動を指摘し、証人尋問でも同様の追及をした際にも同じ主張をしたものだ。きれいごとである。すべての労働者は団結すべし、とは美しく、その理念は素晴らしい。だが、現場の労働者は身に降りかかる火の粉は振り払わなければならない。彼の言説に従えば、結局、職場の上司に向かって反乱は起こすな、差別やパワハラは甘受しろということになる。そんな、馬鹿な、である。闘っている真の相手は、目の前の課長ではなく、課長の姿を借りて不当なパワーや差別で職場を支配しようとする会社の姿勢なのだ。それを理解してもらうためにも、具体的、現実的に障害を取り除く闘いは避けられない。抽象的な空疎な理論を持ち出して、当事者たちの闘いの成果と自信を傷つけるなといいたい。