今月の推し本
『「核抑止論」の虚構』豊下楢彦 集英社新書1272
岡本 敏則
おかもと・としのり 損保9条の会事務局員
8月6日のヒロシマ、9日ナガサキの式典での石破首相のあいさつは、安倍、菅、岸田元首相のような少なくともコピペではなかった。自分の手を入れていたのだろう。参院選で当選した参政党の議員は「核は安上がり」と早速言い出した。今月は「核」について取り上げた。
著者は1945年生まれ、京大法部卒業後京大、立命館大、関西学院大で教鞭をとった。専門は、国際政治論・外交史。2021年第8回日本平和学界平和賞を受賞。著書に『日本占領管理体制の成立』『集団的自衛権とは何か』『沖縄 憲法なき戦後』等がある。
核保有を正当化してきた核抑止論は、”脅しの信憑性”を核心に据えてきたが、その根底には「狂気」が孕まれている。本書は核抑止論の本質を、歴代の米ソ(ロ)のトップ、ケネディ、ニクソン、ブッシュ父子、クリントン、オバマ、トランプ。フルシチョフ、ゴルバチョフ、プーチンの言動、または両国の交渉等を通して、歴史的、論理的に解き明かしていく。
本書はまず8月6日にNHKBSでも放映された、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのをやめて水爆を愛するようになったか』(1964)から始める。そこにあるのは狂気の世界で、ラストは水爆のキノコ雲、世界の破滅を暗示する。
◎日本はいかにして米国の核の傘に入ったか
①1958年11月、藤山愛一郎はマッカーサー大使に次のような説明を行った。藤山は元海軍大将の野村吉三郎、元海軍中将の保科善四郎、元首相の芦田均らの自民党重鎮の意見を踏まえつつ、「彼らは、アメリカが沖縄の施政権を持っている方が良いと考えており、【日本の施政権が及ぶ】条約地域に沖縄や小笠原を含むことを反対している。そうなれば、アメリカが沖縄に核を配備する能力を制限することにつながりかねないからだ。彼らは日本の安全保障のために、第3条諸島【沖縄・小笠原】におけるアメリカの核能力が制限されないことが重要だと考えている」と。要するに、日本の安全保障のためには沖縄の核が不可欠であり、沖縄が日本に返還されれば核配備に制限が加わるから沖縄の返還に反対する、という論理なのだ。実にこれこそが、沖縄の犠牲の上に成り立った「核の傘」の“起源”に他ならない。
②1965年1月、日本も核武装に向かいかねないと懸念を深めたジョンソン大統領はワシントンで開かれた日米首脳会議において、「日本が核抑止を必要とするなら、米国はそれを提供する」との提案を行ったのに対し、佐藤首相は「それを聞きたいと思っていた」と応じた。この応答をもって米国が日本に「核の傘」を差しかけることを初めて約した、とされる。翌13日付の「共同声明」では、「大統領は米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという同条約【日米安保条約】に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認した」と記された。「核」の言葉はないが、「いかなる武力攻撃」との記述で核攻撃への対応を示した、とされる。
③1970年5月、日本がNPT(核拡散防止条約)に加盟すると、米国はさらに踏み込んだ対応を採ることとなった。1975年8月6日のフォード大統領と三木首相との「日米共同新聞発表」では、「両者は、さらに、米国の核抑止力は、日本の安全に対し重要な寄与を行うものであることを認識した。これに関連して、大統領は総理大臣に対し、核兵力であれ通常兵力であれ、日本への武力攻撃があった場合、米国は日本を防衛するという相互協力及び安全保障条約に基づく誓約を引き続き守る旨確信した」と記された。「核抑止力」が明記されたのである。
④2022年5月米国による拡大抑止が策定された国家安全保障戦略では、「核を含むあらゆる能力によって裏打ちされた米国による拡大抑止の提供を含む日米同盟の抑止力と対処力を一層強化する」と記されている。
⑤2024年7月28日には東京で、米国が核を含む戦力で日本防衛に関与する初の日米閣僚会合が開催された。さらに同年末には、日米両政府が初めて作成した拡大抑止に関するガイドラインに、有事の際の米国による核使用について「同盟調整メカニズム」を活用して「日本側の要望を伝える」との内容が盛り込まれた。
⑥今年2025年2月のトランプ大統領と石破首相との首脳会談を経て発せられた共同声明でも、「核を含むあらゆる能力を用いた、日本の防衛に対する米国のゆるぎないコミットメント」が強調された。
◎チェス盤なきチェスゲーム=戦略研究で著名な英国の国際政治学者ローレンス・フリードマンは、水爆時代における軍事戦略は「チェス盤なきチェスゲーム」のようである、と指摘した。この土台を欠いた「ゲームの世界」は、不条理作家のフランツ・カフカと「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルが出会うような世界、とも形容される。現に、1966年にリンドン・ジョンソン大統領の国家安全保障担当補佐官を辞任したジョージ・バンディは、3年後の1969年に外交雑誌で次のように論じた。つまり、「シンクタンクのアナリストたち」は何千万もの人々の犠牲を「受け入れられるレベル」と見なし、何十もの大都市の損失も、「正気の人間にとって現実的な選択肢になりえる」との判断を示す、しかし「彼らは狂気の世界にいる」のだ、と。さらにバンディは、こうした議論の背景には「軍産複合体」と呼ばれる勢力が存在することにも言及した。
◎威嚇の道具=ジョージ・オーウェルは1945年10月19日付の英紙「トリビューン」に、「あなたと原爆」と題する評論を寄稿した。オーウエルはここで、「軍事均衡の状態」について、それを「冷戦状態」「平和なき平和の時代」と呼んでいるのである。「冷戦」という言葉が初めて用いられた例であろう。いずれにせよオーウエルは、広島・長崎への原爆投下からわずか二か月ばかりで、原爆(核)が孕む本質的な問題を喝破していた。つまり核とは、核を持たない国々や反抗する力ない人々に対する”威嚇の道具”であり、”支配の道具”に他ならないという、その本質である。