守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


   「人間の善」に希望を持ちたい

 

   映画「黒川の女たち」を観た。岐阜県の黒川から満蒙開拓団として海を渡り、敗戦後、開拓団員が生き延びるためにソ連軍への性接待を強要された女性たちの晩年を描いたドキュメンタリーだ。

 そもそも満蒙開拓は、世界恐慌後の農業政策の破綻から貧農の口減らしのために行われた国策であり、また、いざという時には関東軍の補助要員として武器を持たせることも想定されていた。開拓団という名ではあっても、木を切り倒し農地を開墾するといった作業はしなかったと証言されている。「五族協和」というスローガンを掲げながら、その実、現地の人々が血と汗で耕してきた農地と住居を奪い取ったのだ。当然中国人の恨みを買っており、1945年8月9日にソ連軍が満州国に侵攻し、15日に日本の敗戦が決まったら中国の人々からそれまでの悪行の報復を受けた。ソ連軍侵攻の前兆を嗅ぎ取っていた関東軍は、開拓団には知らせず密かに退却してしまっていた。軍隊は民間人を見捨てたのだ。

 前門の虎後門の狼という状況に、集団自決を選んだ開拓団も多くあったが、黒川開拓団では、中国人の襲撃から守ってもらうために数え歳18歳以上の未婚の女性をソ連軍に差し出した。中には接待というのはお茶や食事を運ぶことだろうと思っていた少女もいたそうだ。お国のため、開拓団のため、みんなのためと言われ、日々性暴力を受け入れなければならなかった若い女性たちの悲しみと苦しみは想像に余りある。そうして662人中451人が郷里に帰り着いたが、文字通り身を投げうって開拓団を救った女性たちは穢れた女として差別され、恥の歴史として沈黙を余儀なくされた。

 その沈黙を破ったのが佐藤ハルエさんと安江善子さんの語り部としての証言だった。敗戦から70年余りを経てのことだった。

 詳しくは、是非映画を観てもらいたい。この上なく重たいテーマだが、それでも人間の「善」に希望を持てるのは、被害者の子どもや孫の世代が負の歴史に真摯に対峙しているからだ。犠牲者の心の傷がいえることはないだろうが、それでも救いがあるのは、周囲の人々が誠実であるからだ。戦後生まれで男性の遺族会会長が親身になって被害者に寄り添い、「性接待」の史実を刻んだ碑文を建て、その除幕式で遺族を代表して謝罪した。長年実名を隠して証言していた安江玲子さんは、孫から「生きていてくれてありがとう、話してくれてありがとう」という葉書きをもらったことに勇気づけられ、実名で顔も隠さず語るようになった。安江善子さんの息子さんの「隠さなければならない、が次の不幸を呼ぶ」という言葉が日本の体質を鋭く突いている。

 

 その数日後、「入隊したらさあ大変!自衛隊パネル展」を観た。まずは陸自のエンブレムにびっくり!今まで興味を持ったことが無かったから知らなかったけれど、円形の中央に刀の鞘と抜身の日本刀が交差している。交差した上に日の丸、下に桜の花というまるで旧帝国陸軍のようなデザイン。なんたる時代錯誤だろう。また「万歳突撃」でもやるつもりなのだろうか。自衛隊内のセクハラに関しても、五ノ井里奈さんは実名で告発したのに、処分を受けた加害者の氏名は公表されていない。男中心の集団は、常に男を擁護する。中学生、高校生向けのリクルート資料に描かれたイラストの女性は、細身なのに胸だけ大きく、お尻すれすれ丈のスカートをはいている。これを見れば、自衛隊の女性観が如実にわかる。こういうイラストを見て喜ぶ輩は、戦争になったらきっと女性を戦利品として扱うのだろう。でも、人を殺し、女性を凌辱した男の方も、きっと後に慙愧の念に駆られたり、トラウマに苦しんだりするだろう。戦争をして幸せになる人などいないのだ。

 

 9月19日で戦争法強行採決から丸10年になる。10年経ってもこの国は良くなるどころか、ますます危うくなっている。でも、あきらめてはならない。今こそ踏ん張り時だ。みんなで総がかり行動に参加しよう!再び国会議事堂を包囲しよう!