「盛岡だより」(2025.8)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
さんさ踊り
8月に入ると東北は一斉に夏祭りが始まる。
8月1日からは、かつては東北の三大祭りと呼ばれた「青森のねぶた」「秋田の竿灯」 「仙台の七夕」が、今はそれに「盛岡さんさ踊り」「山形花笠踊り」「福島わらじ祭り」が加わり六大祭りになっている。「弘前のねぷた」「北上郷土芸能祭り」も8月1日からで、7日からは「郡山うねめ祭り」が加わる。
この祭りを巡るバスツアーの募集も目につく。
私の住む岩手の「さんさ踊り」は、350~400年前の藩政時代から受け継がれてきた踊りである。その昔、羅刹という悪鬼に悩まされていたこの地の人々が、三ツ石神社の神様に鬼退治を祈願した。その願いが聞き入れられ、神は鬼に二度と里に下りてきて人々を困らせないと約束させる。その証として岩に手形を押させた。これを喜んだ人々が「さんさ、さんさ」と踊りながら感謝した。これが、さんさ踊りの発祥だと伝えられている。今も、「盛岡さんさ踊り」の開催前に三ツ石神社で踊りが奉納さる。
「岩手」という地名や、盛岡の別名「不来方(こずかた)」もこの伝説に由来するといわれている。
「さんさ踊り」は、三、三拍子であったからさんさ踊りと呼ばれたという説もあるが、「サンサヨー」のかけ声のためとの説もある。
この踊りは、なんといってもテンポの速さと、なめらかな振りがいい。数人の男たちが頭に花笠をつけ、大きな締め太鼓を抱いて輪の先頭に立つ。バチをさばきながら首を大きく振り、太鼓を左右に振って踊り手とともに踊る。花笠や赤いたすきが浴衣に映えて美しい。踊りは早いが、振りに切れ目がない。太鼓に合わせ、大きく、全身で踊ればすぐに覚えられる。大きな振りが終わった後に、「ヤコラ、チョイワ、ヤッセ」と、合いの手を入れ、また、大きな振りに移っていく。そして、唄の終わりに、「サンサヨウー」のかけ声である。
興にのると、花笠は狂ったように激しく動き、太鼓の調子は更に高くなり、振りは大きく、かけ声は鋭くなってゆく。それは、誰をも踊りに誘い込んでしまう。
私が小学生だった昭和25、6年ころまでは、盛岡近郊のどの集落や神社でも踊られていた。振りにも「七夕くずし」のような入れ違い、「田植えくずし」のような二人ずつの組み踊りなど、地域ごとにさまざまな踊り方があって、門付けも行われていた。
母の実家は神社のすぐ近くにあった。お盆に行くと置かれている太鼓を見よう見まねで「さんさ」を叩いたものだった。
その後、日本の農業は大きく変わる。農業が急速に近代化されるにしたがって、この踊りが一斉に廃れ、消えていった。
社会の変化に対応するだけでせいいっぱいだった農家の人たちが考え始めた。忘れていたものを思い出し、なくしてならないものを見つけた。
(さあ、急がねば……)
昭和44年、村の若者が父の歌う唄を録音テープに録(と)っていった。土地に残った若者が、20年もの空白を埋め、お年寄りを頼って踊りを復活させようとしていると、お盆に帰省したとき父から聞いた。今年のお盆に間に合わせようとしたようだが無理だったという。少しは残念だと思ったが、できるだけ原形で復活しようとしていると聞いてどこかホッとした。(それでいい)そうすべきだと一人でうなずいたものだった。そのころ、どの地域でも「さんさ踊り」復活の取り組みがなされていたようだった。
それから9年後の昭和53 年、復活した各地域の伝統的な「さんさ踊り」を統合し、観光イベント化して継続開催しているのが、現在の「盛岡さんさ踊り」である。統合された踊りは、誰でも踊れるように3パターンになった。
ギネスブックに登録されるほどの太鼓が打ち鳴らす響きには数の迫力がある。だが、私は単調になって少々物足りない。
パレードの合間に「伝統さんさ」が混じる。幼いころに見ていた踊りである。その素朴さが懐かしく好きである。
機会があれば、ぜひ、スケールの大きな太鼓パレードと竹笛、鉦(かね)、花笠、鮮やかに衣装を彩る腰帯など、とても華やかな「盛岡さんさ踊り」に出かけてみてはいかがだろうか。
【盛岡さんさ踊り】
【伝統さんさ】