守屋 真実 「みんなで歌おうよ」
もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏
私の心に響かない…
毎週金曜日に茱萸坂でやってきた「反原発歌い隊」をしばらく抜けることにした。
反原発歌い隊は日音協の人たちが福島原発事故後の2012年に始めた活動で、つまりもう12年以上続けているわけだ。私が加わったのは6年くらい前からで、党派にも上手下手にもこだわらない誰でも参加できる草の根の活動は大いに評価している。東京新聞で紹介された記事を見て新しく参加する人が来たりもした。けれど、最近どうも楽しくないのだ。音符にただ文字を乗せただけのような替え歌や口先だけで歌える曲の演奏が多いように感じる。簡単に言うと、私の心に響かないのだ。貴重な時間と体力を投じて自分の意に沿わない曲を歌う意味があるのかなと考え、歌い隊に参加することがストレスと感じるようになってきた。
ちょうどその時に、古本屋で「流行歌でつづる日本現代史」(音楽評論社)という本を見つけて購入した。1966年発行だからもはや現代ではないし、毛沢東が英雄のように書かれていたりして時代の変遷を感じるのだが、自由民権運動の頃から60年代初頭までの流行歌と社会情勢を照らし合わせているのが面白い。その本の中で、戦争前夜にはエロ、グロ、ナンセンスが流行り、1964年の東京オリンピックの頃、つまり一見華やかでも実際には物価高や国威発揚が押し付けられていた時代には、民衆の怒りをガス抜きさせる歌が流行ったと書かれているのを読んで、私の中のわだかまりの理由が分かったような気がした。
最近は市民運動の音楽活動でも、コミカル・ソングが多いように思う。もちろん優れたコミカル・ソングは人の心を結び、明るく笑って闘う力になる。けれど、単に面白い歌にして政治に関心のない人にも聞いてもらおうというだけでは、一時のガス抜きに終わってしまうのではないかと思う。高齢世代ならきっと覚えているクレイジーキャッツの「銭のない奴ぁ俺んとこへ来い」という歌は大流行したけれど、結局は「そのうち何とかなるだろう」で終わってしまう。一見市民の困窮を風刺しているようだが、不満を笑い飛ばすだけでは何ともならないのだ。真面目なことを真面目な顔で、真面目な口調で話すことが疎まれたり嘲笑されたりする時代だから、労働条件が悪くても、パワハラやセクハラをされて苦しんでいても誰にも相談できない。心を打ち明けて痛みを共有し、連帯して社会を変えて行くことができない。職場や社会に不満があっても、B級グルメを食べ、発泡酒を飲み、テレビのお笑い番組を観たりゲームをしたりして溜飲を下げてしまう市民は、権力や大資本にとって一番都合の良い人たちだ。私はそういう社会のガス抜きするような歌は歌いたくない。不満や怒りや悲しみを率直に吐き出して、闘うエネルギーに変えるような歌が歌いたい。
というわけで、歌い隊の代わりに同じ時間一人で練習することにした。広いところで思い切り声を張り上げて歌うのは、とても良いストレス解消法でもある。永田町駅横で歌っていたら、若い女性が足を止めて聴き、拍手してくれた。機動隊員が一人近づいて来て、「何かの抗議行動ですか」と訊ねるから、ただ練習しているだけだと答え、ついでに「ねえ、これ知ってる?」と新聞のコピーを見せた。5月27日の赤旗に載っていた陸自と葬儀業界が協定を結んだという記事を拡大した物だ。爽やかな青年風の機動隊員は、「国外で戦死想定の協定」という大見出しに顔を引きつらせ、「本当ですか?もうここまで来ているんですか」と驚いていた。「のんびりしてたら、あなたくらいの歳の男性は召集されちゃうよ。石破さんは戦場には行かないけど」と言ったら、「ああいう人は行きませんよねー」と納得していた。きっと彼が同僚や友達にも話してくれるだろう。
いつかまた歌い隊に参加することもあるかもしれないけれど、当分は自分のスタイルで自由にやっていこうと思う。こういうやり方で種を蒔くこともできるのだから。