「盛岡だより」(2025.6)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
喧嘩の仲裁
江戸っ子は気が短く、喧嘩は「江戸の華」といわれるほど派手だった。殴り合いや取っ組み合いは野暮とみなされ、もっぱら口喧嘩であった。
相手をぎゃふんといわせ返答ができなくなれば勝ちである。だから、なんの脈絡もなく「お前の母さん、デベソ」「お前の父さん、ハゲ」と応酬が続いた。物見の野次馬はやんやと囃し立てて楽しんでいた。頃合いを見計らって仲裁がはいる。その役目は大家さんだったり大工の棟梁だったりする。
たわいのない話は落語や江戸の小咄によくでてくるが、上手に仲裁役をこなす人物は高く評価されていた。「水戸黄門」や「遠山の金さん」も名仲裁者であったし、清水の次郎長が全国的に有名になったのは、ある親分同士の喧嘩を収めたからだった。
喧嘩の仲裁役になれる人物には、ある共通した特徴がある。聞き上手でコミュニケーション力がある人。ほどほどの力があって信頼の厚い人。いつも落ち着いていて誰にでも公平、平等に物事を考える人。などである。この条件は今の時代でもそうだろう。
他国民の喧嘩はどうだろうか。元毎日新聞社の主筆だった伊藤芳明氏がエジプトのカイロ支局にいたころのことを講演で話している。
「支局はナイル川の中州に建つ古いビルの2階にあった。そんな裏通りで週に一度は大騒動が持ち上がる。些細なことから口論が始まり、人が集まってくると、どちらも引っ込みがつかなくなり、周囲の目を気にしながら『お前の頭は靴』『お前のオヤジは壁』と罵声をあびせ合うようになる。あわや、殴り合いという場面で仲介役が現れ、騒動はあっけなくおさまる」
喧嘩がエスカレートすると、相手にあびせることばが喧嘩の原因とはまったく関係のないことばになるのが日本と同じだ。そうなるところがおもしろいが、各国共通なのだろうか。
その仲介役を現地では「止め男」と呼ぶそうだ。その人物の条件は、第一に金持ちで地位が高く金を貸してくれる人。第二が、面倒見がよく住民から尊敬されている人だという。「金持ち」が一番目にくるのはお国柄だろうか。
ロシアとウクライナの戦争。イスラエルとハマス、そして、ガザ地区の大量虐殺。この喧嘩の「止め男」は誰なのか。トランプ大統領が、その役を務めようとしているが、うまくいっていない。
確かに、アメリカは第一条件の金持ちであり、力もある。だが、ウクライナに一方的に譲歩を迫って欧州諸国の反発を招き、イスラエルのガザ地区をアメリカが所有して開発しようとする不動産ビジネスの発想に、アラブ諸国が警戒している。
はたして、トランプに仲介役に必要な資質があるのだろうか。
コミュニケーション能力があるのか。和平提案は公平で平等なものなのか。そもそも、仲裁役に必要な「信頼」があるのか。うまくいっていないのは、これらすべてに疑問符がつくからである。
本来、紛争の仲裁役は「国連安保理」であるべきだった。だが、常任理事国の拒否権で機能不全に陥っている。その責任の一端はアメリカにもある。