守屋 真実 「みんなで歌おうよ」
もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏
歌の師匠Tさん逝く
歌の師匠Tさんの訃報が届いたのは2月19日水曜日。ちょうど国会議員会館前で総がかり行動に参加している時だった。
肝臓がんが見つかってから8年半。すでに1月からホスピスに入っていたから、遠からず最期が来ることはわかっていたのだけれど、その二日前にはまだ元気そうで「また木曜日に来ます」と言って別れたのにそれきりになってしまった。これまでにも何人も先人を見送って来たが、今回の喪失感はひときわ大きく、悲しいというよりも心の整理がつかなくて涙も出ず、集会の列を離れて人気のない道をおろおろ歩き回った。
Tさんと出会ったのは2015年の戦争法に反対する集会で、国会正門の銀杏並木だった。あれから約10年。初めからマイクに頼ろうと思うな、道路の反対側にいる人に聞かせるつもりで歌えと教えられて声を張り上げているうちに、声量も増し、高音も出せるようになった。突然の豪雨に文字通りずぶ濡れになったこともあったし、寒さで指がかじかんでギターのピックが何度も飛んでしまった夜もあった。右翼に妨害されたことも一度ならずあった。たくさんの歌と歌にまつわるエピソードを教えてもらった。歌の活動を始めなければ、今の仲間たちと出会うこともなかったかもしれない。Tさんと知り会ったことで、本当に人生が変わった。
歌うために生まれてきたような人で、ホスピスに入ってからも「もしもう一度コンサートをやるとしたら何を歌うか考えている」と話していた。一曲目は元気よく荒木栄の「どんと来い」、二曲目は力強くすずききよしの「おいらの空は鉄板だ」、三曲目は明るく素朴に「桑畑」、四曲目は決まらないままになってしまった。これまで自信のない時やわからないことがあるときは、いつもアドヴァイスしてもらっていたので、残されてしまった今、改めて頼りにしていたのだなと思う。今でも永田町駅の横で譜面台を立てていると、ギターを背負ったTさんが「おう、早いね」と言って駅から出てきそうな気がする。もういくら待っても来ないのだ、一緒に歌うことはないのだと思うと、とても寂しい。
1月からTさんが地域でやっていた歌の会を三件引き継いだので、またまた忙しくなってしまった。それでも、4月の紙芝居の会には引き継いだばかりのうたごえ広場から5人が参加してくれて、やりがいがあると感じられた。「俺が歌を教えているのは、いつか俺がいなくなっても誰かに代わりに歌って欲しいからだよ」とも言っていた。私より歌が上手い人はたくさんいるだろうし、ギターは相変わらずヘたくそなのに、私を後継者に選んでくれたのは、行動力と持続力を評価してくれたからだろう。偶然にも父と同じ19日が月命日になったから、総がかり行動は何としても続けなければと思う。形見に愛用していたギターをいただいた。私も将来このギターを手渡せる人を見つけなければならない。
「一生懸命働いて、一生懸命闘って、たくさんお酒を飲んで、たくさん歌って、いい人生だったよ」と笑っていた。私の番が来た時にもそう言って終われるようにしたい。
♫ この道をこれからも 歩いていくつもり
あなたがいれば 楽しく行けそう
この道はこれからも 果てしなく長いけど
たとえ倒れても 素敵な人生さ (横井久美子「歌って愛して」)
Tさん、ありがとうございました。
これからは天まで届くように歌います。