(読者投稿) 大阪府 すぎもとみき
役人の裏金はアンタッチャブル?労災不認定から見えてきたもの
私は2000年に入社し半年足らずの会社の強制参加の全社スポーツ大会で大怪我をし、今も後遺症に苦しんでいます。労災申請は、大阪中央労働基準監督署(不支給決定)、大阪労働局(不服申し立て棄却)、労働保険審査会(再審査請求棄却)まで5年かかりました。不支給の理由は、当日(土曜)の日当支払いがなかったことです。この点につき、労働法の権威・松岡三郎氏は、「日当支払いが要件との旧労働省通達の如何を問わず、業務性は法的に明白」と激励してくださいました。
事前配布の大会日程には、開会式典(大蔵省出身で親会社の理事・会社の専務が挨拶)、競技予定が記載。休日に希望者が集まる和やかな懇親会ではありません。受傷が午前11時頃、応急処置を受けたものの激痛は収まらず、救急車を呼ぶよう求めても認められませんでした。事故後30分以上経過しても歩行できず、ようやくタクシーにて一人で病院に行くことが許されました。院内では車椅子を使用するほどでした。数日後に出社、「要安静」との診断書を提出しましたが、朝のラジオ体操で着席していると、部長に咎められ、診断書について説明すると叱責される始末です。
1か月経過しても怪我は改善せず、大学病院を受診すると重篤な外傷だと判り、改めて診断書を提出。すると今度は出勤停止命令/退職勧奨されました。暫くして労災申請を決めました。申請に必要な雇用主の記載・押印をもらいに会社に赴くと、役職付きの人達が待機しており、「労災申請の意味を分かっているのか」と威圧されました。会社から返送された書類は、参加命令の有無や事故後の対応に齟齬があり、隠蔽の意図が明白でした。なお、手術後1か月以上入院しました。
退院後、「隠れ労災」特集を組んでいた全国紙の記者から取材申し込みがあり、資料提供し経緯を話しましたが、取り上げられませんでした。にもかかわらず、記者から電話があり、労災運動活動家K氏を紹介されました。そしてK氏と共にナショナルセンターの勉強会に報告者として出席することになりました。会合後、センターのT氏から「この運動会は業務と一体化したものなので労災認定されるべく協力したい」、「当労組からは労働委員会の委員を出しているので強力に意見できる」と申し出があり、会社や役所との交渉を依頼することにしました。ところが数か月後、「労災申請を取り下げろ、健保の休業補償支給は申請取り下げが条件だ」と電話を受け、センターに行くと「労災申請を取り下げろ」と恫喝されましたが、脅迫には屈せず関係を解消しました。
暫くして弁護士団体主催の電話相談で事情を聴いてもらい、後日、労災専門の弁護士から「社会的意義がある事案なので是非引き受けたい」と連絡がありました。面談の上、着手金を払い委任しました。しかし委任契約後の初回打ち合わせが大阪労働局で、突如、弁護士と係官から申請の取下げを迫られました。私は「全社的行事で、事故後も医療機関の受診を認めなかったのは会社の支配下にあった証拠」と伝えると、弁護士から「羽交い絞めにされたわけではない」、「新しくアルバイトを始めた以上、前の職場での労災申請は取り下げろ」と詰られ、係官と共に「健保の休業補償は労災申請取り下げが条件」と言い放たれました。 そして、2001年大晦日の夜、弁護士から電話があり、申請を取下げるよう強い口調で言われ、断ると、「代理人を辞める」と一方的に切られました。
なぜ、労組や労働局が労災申請取下げの圧力をかけてきたのか。業務上外と判断するなら不認定とすれば十分です。入社時から時間外手当が一切支払われなかったことを会社・役所が隠蔽したかったのか。会計検査院が公表した平成11年~平成16年に全国の労働局で計70億円もの労働保険が裏金に支出されていた事案、大阪府の労働基準監督署の係官が昭和63年~平成14年までの間、架空の被災者を請求者として労災申請し6000万円以上を詐取して事件に火が付くことを恐れたのか。不祥事と、私の労災申請と時期が重なります。因みに2002年度の労災保険の収入は1兆3892億円。総支出1兆1979億円、うち労災給付額は9185億円。
当方、解雇後は国保で受診していますが、業務性が高い行事の事故での治療に国保を使わせるなど、厚労省は間違っています。