真 山 民「現代損保考」
しん・さんみん 元損保社員。保険をキーに経済・IT等をレポート。
ホンダ・日産の経営統合破談と自動車の技術変化の潮流
NHKホームページから
生産台数世界第4位になるはずが・・・
マークラインズ(*注1)の発表によると、世界の自動車メーカーの2024年度の生産台数の上位5位は以下のとおりである。
1位 トヨタグループ 1,082万台
2位 VW(フォルクスワーゲン)グループ(ドイツ) 902万台
3位 ヒョンデグループ(現代自動車 韓国) 723万台
4位 ステランティス(オランダ) 543万台
5位 GM(ゼネラルモーターズ アメリカ) 517万台
これに対して、ホンダの生産台数は380万台で世界8位、日産は334万台で世界9位、2社
の生産台数を足すと714万台で、統合すれば世界第4位に躍り出るはずであった。ところが昨年12月23日に、ホンダと日産自動車の両トップが経営統合に向けた意気込み発表してから、1か月足らずで、あえなく破談になったことは周知のとおりである。
ホンダの株式の時価総額は7兆5000億円と日産の5倍。24年3月期の連結売上高も20兆円強と1.6倍だ。企業規模や稼ぐ力でホンダは日産に大きく勝る。ホンダはこれらを基に議論を進めようとした。統合後の持ち株会社の名前についても「ホンダコーポレーション」とする案も出されていた。「対等の精神」(日産幹部)だと思っていた日産から、ホンダが有利になるような基準で決めているという不満が出たが、ホンダは「対等なんて一言も言ったことがない」と、取り合わなかった。日産の内田誠社長が記者会見で持ち出した「対等」をほのめかす言葉も対立の火種となった(日経2月14日 「連載 ホンダ・日産破談への道程①」ほか)。はじめから「同床異夢」極まる話だったのである。
10年後に大きくなっている自動車メーカー、小さくなっている自動車メーカー
「週刊現代」2月15日号が「10年後に大きくなる会社 小さくなる会社」という特集を掲載している。経営コンサルタントや経済雑誌編集者、「会社四季報」の元編集長、経済学者ら6名が、日本の有力企業337社を対象に、「10年後に大きくなっていると思う会社」には◎(2点)、「現状維持はできていると思う会社」には〇(1点)、「10年後に小さくなっていると思う会社」はゼロ点とし、合計点数を発表したものだ。
それによると、自動車と二輪車のメーカーで、「今後10年間成長を続けるであろうと予測できる企業」はトヨタとスズキの2社のみで、両社とも12点満点で8点を獲得している。「トヨタの一強は揺るがない」として、スズキが高得点を獲得しているのは「高齢化が進む日本での自動車のボリュームゾーン(商品やサービスが最も売れる価格帯や普及価格帯)として軽自動車があり、またインドという豊富な市場がある」と評価されているからだ。
因みに、損保で「10年後に大きくなっている会社」は東京海上HDの1社(得点6点)で、生保は日本生命(得点6点)、第一生命HD(同7点)の2社のみである。
ホンダは2点、日産はゼロ
ホンダと日産の経営統合について、6人の評者の評価は「シナジー効果があまり見えない。日産は力を失い、ホンダ車に興味を失う10年になるのでは」と手厳しかった。事実、日産は昨年11
月に経営再建策として、世界で9千人の人員と生産能力の2割を減らすと発表したのに続き、米国 でのリストラ策だけでは目標には達しないとみて、日本を含めた他地域でも人員や生産能力の削減 を進める予定である。
ホンダも、今年度のグループ全体の決算で9500億円の最終利益を見込むなど、会社全体の業績
は堅調だが、高い水準の利益を出しているのはバイク事業で、自動車事業の収益性のてこ入れは長年の課題となっている。
ホンダ、日産を抜いた中国BYD
冒頭の「世界の自動車メーカーの2024年度生産台数」に戻るが、EV(電気自動車)やプラグインハイブリッド車(*注2)に強みを持つ中国BYD(比亜迪股份有限公司 BYD Company Limited)が、販売台数を40%あまり伸ばして427万台となり、ホンダ、日産の生産台数を上回って、世界6位のメーカーに躍進した。
価格競争が激化する中国市場でも台数を伸ばしているが、比較的低価格のEVにも高度な自動運転システムを搭載することを発表し、攻勢を強めている(「破談 ホンダ・日産 歴史的な経営統合 なぜ破談?その先は?」NHK・NEWS・WEB 2月14日)
ソフトに左右されるクルマ
いま自動車産業は大きな転換期を迎えており、CASE(下表参照)と呼ばれる新しい技術潮流への対応が求められ、マイクロソフトやグーグルなどビックテックと協同して、自動車への生成AIの実装やSDV(*注3)などを進めている。従来の自動車は、エンジンや操作性など、搭載されているハードウェアの性能によって自動車の価値が決定づけられ、一度製造された自動車の基本性能は固定的で、新しい機能を追加するには物理的な改造が必要であった。
これに対して、SDVではソフトウェアが自動車の中心的な性能となり、そのアップデートによって、走行性能や安全性能を向上させることが可能となる。ユーザーは、自分の好みに合わせて車両をカスタマイズすることができ、一台の車両でも所有者ごとに異なる使用体験を提供することができるようになる(製造業の変革や技術、オープンイノベーションを推進するアイデア、取り組みを発信するウェブサイト「PEAKS MEDIA」)。
このように、今後、クルマはソフトによって性能が大きく左右されるようになり、SDVにシステムを提供するIT企業が高収益を得て、ハードである自動車本体をつくる企業はトヨタといえども従来ほど儲からなくなる。こうした自動車の大きな技術の潮流は、自動車販売店、中古車業者、整備工場、そして損害保険業界など、500万人とも600万にともいわれる関連業界、あるいは運送・物流業界を含めて、その経営や,働きを大きく変えるに違いない。どう変化するか、あるいは既にしているのか、損保については次号で報告したい。
*注1 マークラインズ 自動車産業関連企業をつなぐオンライン情報サービスを運営し、世界各国の自動車産業の情報を入手できる情報収集機能と、自社の製品・技術・サービスをプロモーションできる情報発信機能を持つ。
*注2 プラグインハイブリッド車 ガソリン燃料を使用するエンジンと、電気を使用するモーターを組み合わせて搭載している車。
*注3 SDV Software Defined Vehicles ソフトウェア定義型自動車。クラウドとの通信により自動車の機能を継続的にアップデートすることで、運転機能の高度化など従来車にない新たな価値が実現可能となる次世代自動車。
日本国憲法は、前文で「主権が国民に存する」と宣言し、第1条で国民主権を明記している。国や自治体が保有している公文書は、本来、主権者たる国民の共有財産であり、全体を公開するのが原則だ。
これを具現化するため、まず地方自治体で1980年代から90年代にかけて情報公開条例と個人情報保護制度ができはじめたが、21世紀なってにやっと国でも情報公開法と個人情報保護法ができた。それから四半世紀が経とうとしている。
しかし、その運用面では、役所内にある情報を国民が知るという権利が保障されているとは言い難い状況が続いてきた。
情報公開法に基づいて請求した者に対する開示内容を見るとそうとしか思えない。その典型が、ページのすべて、あるいは欄の名前部分だけ残して黒塗りのいわゆる「のり弁」である。
この6月、「のり弁」はダメという最高裁判決があった。不開示情報を含む欄を丸ごと「部分」として黒塗りするのではなく、その欄をできるだけ細かく区切ったうえで、「区切った範囲ごとに開示すべきかどうかを判断すべきだとの考えを最高裁は示した。
欄をどう設定するかは行政側が決められるのだから、公開すべきだが公開したくない場合、それぞれの欄に一つでも非開示にすべき事項を入れれば、文書全体を非開示にすることが許されてしまうからだ。
事案は、情報公開の在り方を検証しているNPO法人「情報公開クリアリングハウス」が、警察庁の保有する個人情報が入った文書の公開を求めたところ、「名称」や「利用の目的」といった項目の名前以外、すべて黒塗りで開示され、不服として訴えを起こし、地裁・高裁を経て最高裁で争われたものである。
(クリアリングハウスには私自身も昔、関わっていたことがある。90年代、国の情報公開法ができる前で、その名称が「情報公開法を求める市民運動」だったころである。四谷の事務所、と言ってもマンションの小さな一室で、電話番を何度かしたことを思い出す。現在、理事長の三木由紀子さんは、当時、自身の入学試験について個人情報開示請求で闘っている大学生だった。)
具体的にはどういうことだったのか。概ね次のとおりである。
別紙1は、本件で国が開示した文書である。右側の黒塗り部分を、国は、独立した一体の情報だと主張した。
その他の開示文書についても、欄が、複数の「小項目」に細分化でき、その中には不開示事由のない情報が含まれているだろうことが、容易に推測できる。
それにも関わらず、高裁は、国に釈明を求めることなく、欄の記載内容を、裁判手続において特定し、不開示事由の存否を個別に判断することは困難であると結論付けてしまった。
国民主権という憲法の理念を基礎に、主権者から信託を受けて国政を行う政府が、主権者である国民に対して、説明責任を果たす。そのために、国は情報公開制度を作ったはずである。
政府情報を「隠すが勝ち」というようなそぶりを国が見せたとき、裁判所がそれを見過ごすことがあってはならない。
行政訴訟では、行政と私人の主張立証能力に、大きな格差がある。さらに情報公開訴訟では、開示を求める「情報」にアクセスできるのは、行政のみであるという事情も加わる。
だからこそ、裁判所は、必要なときには、行政に釈明を求めるべきである。
今回は、別件開示文書による事実上の「インカメラ」審査を行うことができたから、国が、濫用的に不開示処分を行なっているという事実が、白日の下に晒されたわけである。
この最高裁判決によって、今後、地裁や高裁は、非開示について、行政側に釈明を求めなければならないと考えるだろう。「のり弁」がなくなるのではないかと期待したい。