暇工作 「押し寄せる難問」
ひま・こうさく 元損保社員・現在個人加盟労組アドバイザー
個人加盟労組員から、「仕事への意気込みについて作文を月に一度書かされています。この時間は無給です。違法ですよね?」という質問があった。たしかに、作文の時間に対する賃金が支給されていない場合、違法である可能性が高い。その文章を書く時間と場所が、夜、自宅であったとしても、法律上では「労働時間」だ。当然対象賃金は請求できる。この種の作文とか、従業員に文章で自己目標の設定を求める管理方式はかなり前から行われてきたし、現在でも行われている。ずいぶん前に、損保関係の組合員たちが「もくちゃ」「もくちゃ」というので、それ、何語?と聞いたところ、「目標チャレンジ」制度の略称です、と説明されて納得(?)したことを想い出す。
さて、問題は、理論的に、賃金対象であることを明確にしても、そして、それがうまく実際の手当てに結実したとしても、それにて、一件落着だろうか。そもそも、この賃金交渉自体紆余曲折が予想されるし、さまざまな問題が絡んで、すんなり成功するまでの道も遠い。しかも、営業職などの場合、一般的に数値的目標を掲げること自体は業務上、あり得ることで、職場からの広い支持を得るためにはかなりの努力も必要だろう。
そして、「労働時間」として、認めさせても、その次の問題、つまり、今度は、自分の立てた目標と実際の成果との乖離を追求されるとか、こちらの失点探しのための手法だったりすれば、別の問題として闘わなければならない。、二重三重の陥穽が仕組まれていて、一筋縄ではいかない。
かつて、不当な処分から解雇を受け、個人加盟労組に加入した社員K君がいた。たたかって、復職を勝ち取ったのだが、復職した職場でそうした精神論的作文というか、およそ、実際の仕事とどこでどうつながるのか不明に思える「目標設定」作文を書かされ、すっかり精神的に疲弊して、再び、職場を去らなければならない事態に追い込まれた例もある。作文とか目標設定問題は決して賃金問題だけではない。
さらにもう一つの問題がある。それは、目標設定制度などに絡んで、例えばなんらかの資格取得を目指せ、費用は会社負担するなどいうケースである。うまく活用すれば本人のスキルアップにもつながる場合も考えられるので、会社の提案だからと 一概に敵視するわけにもいかない。この問題は複雑である。組合員個人の考えも、どんな仕事をしているかによっても受け止め方がそれぞれ違う。
でも、この種の難問を議論し、対応を考え抜くことで組合員の力量もついてくるのではないかと思っている。
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。