トランプノミクスの柱の輸入品に対する大幅な関税は16~18世紀の絶対王政の重商主義そのもの。重商主義は絶対王政の基盤である官僚制と常備軍を維持する財源確保のために採用された。関税の引き上げは物価高につながり暮らしを苦しめる。米国民はそれを承知でトランプに投票したのだろうか。(か)
トランプ大統領の任期中はアメリカから離れちゃおうよ、そんなうたい文句で4年間世界一周クルーズ船への乗船お誘いが人気とか。でもさあ、4年後「♯ワタシ馬鹿よねん…お馬鹿さんよねん」てなこともありうるわけでして…なんだか、映画「猿の惑星(第一作チャールトン・ヘストン版)」の衝撃的ラストシーンがオーバーラップしてくるのです。(B)
日本一の樹高62.3mの杉、京都の北山、花背の三本杉を見た。峰定寺ご神木で、1位・2位・5位の三本。3位は愛知・笠杉、4位が秋田・きみまち杉。20年程前の帰省の際、当時認定された日本一のきみまち杉を見た事がある。「はて?」とのモヤモヤに、ドローンの登場で計測可能になり順番が変わったとの説明。故郷の自慢が下がった。(も)
ネットに浸っていると、知的・精神的能力が劣化するらしい。これを「脳の腐敗(Brain rot)」と言うそうだ。オックスフォード大学出版局の「2024年の言葉」にこれが選ばれた。トランプの再選やパワハラ知事再選はこれの現われか? 1歳の孫はタブレットを見ながら踊ってくれる。この子の脳も腐るのか?ジイジの心配は尽きない。(M)
経産省は原子力発電所の依存度を可能な限り低減するとしていた従来の文言を削除し、原発の活用を最大限に進める方針を打ち出した。原発は安価だと。福島事故の後始末もできていない、処理済水(汚染水?)も垂れ流し、使用済み燃料の行く先も決まっていない。これらにはお金がかかる。私たちは10年以上復興税を負担。安上がりな訳ないでしょ!(こ)
個人的に昨年一番嬉しかった出来事は何といっても横浜DeNAベイスターズが日本一になったことだ。大洋ホエールズ時代から約60年応援し続けてきた。横浜一筋ハマの番長こと三浦大輔監督で勝てたこともファン冥利に尽きる。決して諦めない気持ちの大切さを気づかせてくれた。今年はリーグ優勝を果たし文句なしの日本一を目指す!(駿)
蟹やノドグロに惹かれて福井ツアーに参加。名所の見学が急ぎ足なのは承知していたが、出発時に配られた新幹線の座席に思わず「うそ~」と叫んでしまった。行きの3人掛に二人はいいとしても、帰りがC席前後では旅の楽しみが半減してしまう。抗議するも「満席なので」と冷たい返事。ツアーの落とし穴はこんなところにもありました。(百)
月2回家人の往診を受けている。正確には訪問診療。医師と看護師が車で訪問する。マンションの駐車場に停めてもらうが、戸建ての場合は路上駐車。医療行為なので、違反にはならない。採血・採尿、ワクチン接種と家でできるので通院と変わらない。いいところは、月2回、掃除片付けができること。(O)
毎年12月恒例の沖縄研修旅行に8回目の参加。平日朝の辺野古、10年近くにわたる座り込み抗議行動の人々の姿。一方、「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ」を登場人物に語らせて、物議を醸す漫画「社外取締役島耕作」。私たちの心に根深い分断があることの象徴だという現実を思わされた瞬間だった。(亀)
明けたら新年は本当におめでたいのかなどといい歳こいて屁理屈をこねるか、それとも素直に一杯飲んでおめでとうと妥協するか。積読中、今年こそ吉本隆明「言語にとって美とは何か」、ハンナ・アレント「過去と未来の間」、都留重人が日米開戦時の交換船で唯一持ち帰ったフランツ・ノイマン「ビヒモス」をやっつけたい。(ま)
今時珍しい予約制をとらないご近所のクリニック。年末は激混みで午後に出直して受診。
区民検診も予約なしでOK。高齢者は予約しても体調や天候等でキャンセルや日程変更など
の連絡の手続きでかえって電話応対が大変になるという。高齢者に優しいクリニックは
高齢者で溢れかえり紙の保険証でスイスイと受付して貰える。(京)
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。