守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


  障がい児とともに

 

気候が定まらないせいか、最近いつもだるい。頑強なのが取柄の私だったのに、やっぱり歳のせいかなーと思うことの多いこの頃である。

 それでも、まだ週三日働いているのは、もちろん経済的な理由が大きいけれど、そればかりでなく障がいのある子どもたちと遊ぶのが楽しいからだ。家で新聞を読んでも、テレビのニュースを観ても、眉間にしわが寄ることばかりで笑うことなどほとんどない。でも、子どもたちの無邪気な顔や舌足らずの言葉を聞くと自然と笑いがこみあげてくる。ドイツの諺に「笑わなかった一日は、捨てた一日」というのがある。子どもたちと過ごす一日は、拾い物の一日なのだ。

 子どもたちの障がいはダウン症、自閉スペクトラム障がい、癲癇など様々だ。高校生になってもオムツの外せない子もいれば、天才ではないかと思うほどクリエイティヴな子もいる。機嫌が悪いと暴れまわって、頭突きで壁の石膏ボードをぶち抜く猛者もいるし、本当は障がいではなく個性が強いだけなのではないかと思う子もいる。

 Kちゃんはそんな子の一人だった。知能は決して低くない。ただ極端に小柄で、そのことを同級生にからかわれること、母子家庭で鍵っ子なことで感情のコントロールが難しい子だった。一人で家にいる時はテレビで犯罪物やアクション物ばかりを観ているらしく、まるでチンピラのように「てめえなんかぶっ殺してやる!」などと言って暴れることもあった。他の子どもと仲良くすることもできず、このまま成長したら、将来は警察の世話になるのではないかと思うような粗暴な少年だった。匙を投げて相手にしないスタッフもいる中、私は毎回本気で怒っていた。Kちゃんは六年生の時に他の学校に変わり、私の働く放デイには来なくなったのだが、時々私を見かけると道の向こうからでも「守屋さーん」と手を振ってくれるので、怒ってばかりいたけど嫌われてはいないなと思っていた。中学に入ると真新しい学生服を見せに来たこともあった。自転車を買ってもらったと自慢しに来たこともあった。

 再会したのはKちゃんが高校生になってからだ。他の子を迎えに特別支援学校に行ったら、向こうから歩いて来てすれ違った生徒がちらっと私を見た。眼鏡をかけていたので一瞬わからなかったのだが、「Kちゃん?」と後ろから声をかけると立ち止まって振り向いた。そして驚いたことに姿勢を正し、「守屋さん、お久しぶりです。その節はお世話になりました」と言った。信じられない!あのKちゃんが!身長はさほど伸びていなかったけれど、体つきがしっかりして少年を脱する時期にあることが分かる成長ぶりだった。「Kちゃん、大人っぽくなったね」というと、照れくさそうに笑って、「まだ高校一年です」とはにかんでいた。ひねくれたところのない、爽やかな笑顔だった。思わずハグしたくなるのを「もう子供じゃないんだ」とこらえて握手にとどめると、「○○さんにもよろしくお伝えください」と一礼して帰っていった。その後ろ姿を見ながら、Kちゃんの中にはこんなに大きな可能性が潜んでいたのかと、自分の子どもでもないのに感無量だった。子どもって素晴らしい。

 

 高市政権発足以来、急テンポで戦争が近づいている。憲法九条ばかりか、非核三原則までも変えようと画策されている。ドイツで東西統一を経験したとき、世の中はこんなに早く変わるものなのかと思った。一度流れが変わったら、雪崩のように誰にも止められなくなってしまうものなのだと感じた。もちろん悪い方に変わるときにも。

 ナチスは知的障がい者やパーキンソン病、ALSなどの人を21万人もガス室で殺害した。もしそんな社会になったら、私が働く放デイの子どもたちの内、生き延びさせてもらえるのは二・三人だけだろう。でも、どの子どももかけがえのない命を持っているのだ。しゃべれなくても、一人で食事ができなくてもトイレに行けなくても、命の重みに変わりはない。この子どもたちを戦争なんかで死なせたくない。だるいなんて言っている暇はない。今闘わなくてどうする。

 高市政権を倒そう!憲法九条を守ろう!戦争を許すな!