今月の推し本
『電車で怒られた!』田中大介 光文社新書1315
岡本 敏則
おかもと・としのり 損保9条の会事務局員
昔々、電車通勤している頃、駅に着くと向かいの席の客が、私の頭をポンとたたき「じろじろ見るな」と言いながら降りて行った。唖然。野間宏は「電車の中は社会の縮図だ、本など読まずよく観察しろ」と後輩の作家によく言っていた、というのを思いだした。著者が本書を書くきっかけは、休日、子どもを前に抱えて、リュックを背負って電車に乗っていた時だった。「バックがあたってんだよ!」―「突然、耳元で怒声がはじけた。すぐにリュックを持ち替えてその場は済んだが、自分が悪いとはいえ、何か割り切れない気持ちが降車駅まで続いた」、ということがあったからだ。著者は1978年生まれ、慶応大学卒業後筑波大大学院へ、現在は日本女子大人間社会学部教授、現代都市のインフラ交通、消費空間、情報環境などについて社会学的に研究している。
◎公共交通の規範言説の推移=戦前・戦中期には「交通道徳」という言葉で規範を説諭し、車内空間を「家庭の延長」として位置づけ、内部化することで秩序維持を図った。それは「想像の共同体」ともいわれるナショナリズムの理想に合致するものであった。しかし、戦後になると「エチケット」という欧米由来の言葉で規範を啓発し、車内空間を市民社会的・民主主義的な秩序として実現しようとする。その一方で、高度成長期になると満員電車の混雑はピークに達し、通勤ラッシュは乗客たちが科学的テクニックを駆使しながら、物体・物質の様になって効率的に乗降する時間と空間となった。こうした変化にともない、車内空間を「家庭の延長」として内部化することは困難となる。むしろ、家庭という「私的空間」から分離し、外部化した「公的空間」としての秩序維持がここにみられる。とりわけ20世紀後半になるとエチケットよりも「マナー」という用語が一般的になり、規範の比重も「積極的関与」から「消極的関与」へと移っていく。このときマナーは、つかの間の他人同士としての人間関係を維持するための最低限の部分を担うとされた。併し、各種メディア上のマナー論争を経ることで、規範はより細やかなものになり、その期待水準が上がっていくことになる。おおむね穏やかだが、ひとたび踏み外すとご機嫌斜めの面持ちになる日本の電車―それは人々が相互にセルフ・モニタリングしながら、高度なマナーという気遣いのネットワークをはりめぐらせるなかで形成されてきたものと言えるだろう。
◎永井荷風が書いた路面電車―1,908年(明治41年)のエッセイ風小説『深川の唄』=老芸者は、ちゅうちゅうと音高く虫歯を吸っている。請負師がういーっとおおきな欠伸をする。母親の背負う赤子が突然泣き出す。乗客たちが激しく泣く子をみるなか、母親は肌をあらわにして授乳を始める。赤子が泣き止んだと思えば、車掌が母親に乗り換え場所に着いたことを注意する。母親は乳房をぶらぶらさせたままあわてて降車しようとするが、乗車する人とぶつかり合って、おむつを落としてしまう。赤子は泣き出すし、母親は踏まれないように死に物狂いで叫び出す。電車が動き出すと、車体が揺れ、中年女性とその娘が倒れそうになり、足を踏まれた股引半纏の職人が「あいたっ」と叫ぶ。しかし電車が進むうち、足を踏まれた職人はいびきをかいて居眠りをしはじめる。だれかが新聞を音読している声も聞こえてくる。続いて停車場の前で止まらないうちに2、3人の男がとびおりていく。車掌も止まってから降りるようにいうが、既に一人転げ落ちてしまった。停車場で車掌は、乗り換えの案内、車内の中に詰める指示、スリの注意などを矢継ぎ早にしゃべりはじめる。老婆が乗り換えを金切り声で訴え、別の乗客は回数券を買い求めてイライラしている。さらに押し合いへし合いの混雑になった車内では、殴り合いのけんかでもはじまりそうなほど乗客が罵り合っている。銀座の大通りを通るころには電車は大混雑になっており、中にはわらじ履きの田舎者が3人もいる。次の停車場では、乗り逃げした乗客を車掌が追いかける羽目になるが、車内に残る乗客は「けちけちするな!早く出せ!」と叫び出している。長くなる停車で乗り込んできた女性がすでに乗車していた知人と偶然出会い、周りに聞こえる声で世間話を始めた。電車は進むうちに結局、電車渋滞に巻き込まれ立ち往生することになる。車掌は乗客たちに乗り換えをすすめ、乗客たちはぶつぶつと文句を言いながら降車していく。
◎戦前期の新聞の投書にのった迷惑行為=○窓から乗り込んで荷物を投げ込む ○席を奪い合う・占領する ○食物の空き箱、包装紙、竹皮、果物の皮、飲料の瓶、新聞、吸い殻などのゴミの放置 ○窓からゴミや吸殻を投げ、痰を吐く ○高齢者、子供、女性、病人、傷痍軍人に席を譲らない ○車内における肌脱ぎや化粧・不正乗車の多さ ○改札や電車に殺到するあまりけがをしたり、衣服が裂けたりする。
◎戦時体制下の「車内隣組の提唱」(1942年『旅』5月号。新潮社)=国民運動として大政翼賛会あたりが大いに力を入れてほしい。車内は全く世の中の縮図である。あらゆる階級の人、老若男女、そして異國人が集まるところの共同生活である。しかも、この共同生活を現代の人々は、日常絶えず経験する。交通機関を利用しない生活というものは現代では殆ど想像されないのである。特に人口稠密なわが國では、一寸した買い物にも交通の便をはからなければならぬ。交通と生活とは切り離すことが出来ぬ関係にあるから交通道徳が昂揚されれば、國民道徳の水準もおのずから上がることになる。交通機関のように、いやおうなしに共同生活を余儀なくさせられるところで徹底的に訓練することが最も近道である。