「盛岡だより」(2025.10

 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                     市の花と紋章

 

 盛岡の「市の花」はカキツバタで、市章は、菱(ひし)形二つを直角に交差させたものである。

 盛岡は江戸時代からカキツバタ原産地の一つとして有名であった。盛岡のシンボルとして「市の花」に選ばれたのは、1971(昭和46)年のことである。「山岸のカキツバタ群落」は数少ない群落として県の天然記念物に指定されている。

市章の文様は、南部藩の時代に陣笠や籠などにも用いられていたもので、1906(明治39)年に「市吏員用提灯其ノ他ノ徽章ノ件」という規定に、「職員用のちょうちんなどにこの紋章を使うように」と定められていた。それを1968(昭和43年)年11月に正式に市章としたのである。

 文治5(1189)年、源頼朝が平泉・藤原泰衡を討ち滅ぼした「奥州合戦」で、甲斐国(現・山梨県)南部光行の戦功が認められ、現在の八戸地方を領地として賜った。それが陸中の国に「南部領」が生まれた起源である。山梨県に南部町があり、そのホームページにも「奥州の豪族・南部氏の発祥の地」と紹介されている。

菱形は甲斐国の名門武田家の家紋で、戦国大名「武田信玄」の家紋としても有名である。南部家が甲斐源氏の一族で武田家とも近かったことから南部藩の紋章にもこの菱形が使われていたのだろう。

 

 私は平成元年から4年間、福山市(広島県)に住んだ。福山市の花はバラである。町の中央にバラ公園があり世界中の品種が集められ、毎年5月にはバラ祭りが開催されている。

 福山の人たちはとても花好きだ。歩道の植え込みもバラが多く、どこの家でもバラはもちろん、四季の花を育てている。今ごろも、アサガオ、ケイトウ、松葉ボタン、などがまだ咲いているだろう。岩手とちがって、冬でもたくさんの花が咲いていてうらやましく思ったものだった。

 会社の前が市役所で、屋上のポールに市旗が揚がっていた。白地に黒く「山」がデザインされていた。てっきり福山の山をあしらったものと思っていた。だが、それは、翼を広げたコウモリだと知って驚いたのは、赴任して1年ぐらい経ってからだった。

 福山駅のすぐ近くに福山城跡があり、昔、そこを蝙蝠山(こうもりやま)と呼んでいた。蝙蝠の「蝠」は福に通じて地名となり、「蝙蝠」と「山」をイメージしたものが市章のマークになったのだった。

 この街に花好きの人が多いのは分かるが、コウモリ好きの人も多いのかと不思議に思ったものだった。だが、誰に聞いても「好きでも嫌いでもない」と言う。夕方の空にいつもたくさんのコウモリが飛ぶから、なんとも思っていないようだった。

 

 市町村のシンボルマークと指定の花を注意深く見るようになったのは、あの頃からである。多くは文字をデザイン化したものや、地域の特徴をシンボリックに表したものだが、たまに時代背景を示すものがあっておもしろい           

      盛岡市章          福山市章        武田家家紋