暴力事件の原因は大人の勉強不足


           玉木 正之        


 たまき・まさゆき スポーツ文化評論家,日本福祉大学客員教授。著書に『スポーツとは何か』(講談社現代新書)など多数。近刊は「真夏の甲子園はいらない 問題だらけの高校野球」(編・著、岩波ブックレット、2023年)


 

 今年の夏の甲子園大会では広島県代表の広陵高校が、暴力事件の発覚から大会途中に出場を辞退。それに対して日本高等学校野球連盟の寶(たから)会長も阿部文科大臣も、「決して許されない」とコメントした。

 暴力が許されないことくらい、誰にもわかっている。なのに高校野球からなぜ暴力事件がなくならないのか?

 それは暴力を振るう人(指導者や上級生)が「体罰」や「鉄拳制裁」を暴力とは思わず、「教育の一環」だと思っているからだ。だから今でも「5発も6発も殴るのはよくないが、1~2発で注意する程度ならいいだろう……」といった暴論を吐く人がいる。

 しかし、そういう人はスポーツという文化を何も理解してない、と言うほかない。

 スポーツは古代ギリシャや近代イギリスで生まれたように、民主主義社会でしか生まれない文化と言える。

 民主主義社会とは、社会の指導者(リーダー)が暴力的な国王や独裁者ではなく、非暴力的な選挙で選ばれた人物であり、選挙で選ばれた人々による議会で、非暴力的な話し合いによって導かれる社会のことだ。

 暴力が否定された民主主義社会では、殴り合いはボクシングに、つかみ合いはレスリングに、世界を支配する太陽(ボール)の奪い合いはサッカーやラグビーやホッケーに、太陽(ボール)を人間の力で扱うベースボール型の球戯に……といった具合に、暴力を否定するスポーツが誕生する。ならば高校球児たちが暴力にさらされることは、教育どころか、自分たちが行うスポーツ(野球)を否定する行為に他ならないのだ。

 が、今世紀にドイツの社会学者が唱えたこの「真理」を知る人は少なく、高校球児に教える事もできない。つまり高校野球の暴力事件は、大人の勉強不足が原因なのだ。