今月の推し本
『テクノ専制とコモンへの道』李舜志 集英社新書1269B
岡本 敏則
おかもと・としのり 損保9条の会事務局員
著者は1990年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専攻は教育学。法政大学社会学部准教授。新進気鋭の研究者だ。本書を読んで、私は今までいかにオーソドックスな本を読んできた、ある意味で予定調和的な本を読んできたかを実感した。著者が影響を受けたのが台湾の元デジタル大臣オードリー・タンとMicrosoftの主席研究員で経済学者のグレン・ワイル。彼女たちは「天才」と称される才人だが、天才による専制政治ではなく、一人一人が自由に協働する民主主義こそが私たちの未来であると主張する。テクノロジーはそのために多元的「Plural」でなければならない。その構想が本書の副題にもなっているプロジェクト「Plurality」だ。
もう一人影響を受けたのが、本欄でも取り上げた柄谷行人(『力と交換様式』)だ。後期高齢者は酸欠状態になりながらとにかく山頂までは行った。ご来光は拝めたのであろうか。山道で目を引いた個所をいくつかピックアップしてみた。
◎シリコンバレーが広める絶望 = 世界は、支配する側と支配される側に分かれつつある。武器は原子爆弾でも弾道ミサイルでもない。インターネットとデジタル・テクノロジーだ。あなたは「AIに負けない人材」というキャッチフレーズに惑わされて、いつか「お前は価値のない存在だ」と宣告されるのではないかと、内心怯えていないだろうか?そして自分だけは生き残ってやるぞと意気込み、高い授業料を払ってプログラミング・スクールに通ったりしてはいないだろうか?子供がいるひとは、何とか自分の子供だけはAIによる大失業を免れてほしいと、プログラミングや英語を学ばせていないだろうか?はっきり言って無駄である。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、AIをはじめとした新しいテクノロジーは高い教育を受けた労働者からも仕事を取り上げてしまうと指摘している。もはや教育は解決策ではないのだ。IQが130未満の人間は使い物にならない、あるいは近いうちにそうなると考える金持ちのオタクと、普通の中産階級の仕事を見下している、下層に落ちそうな無駄に高学歴なエリートが奇妙な同盟を結んでいるように見えるのだ。
◎デジタル・レーニン主義―中国の場合 =
習近平政権は急速な社会発展とグローバル化への対応という課題に対応するために、また市場に対する党の優位と指導力を回復するためにテクノロジーを駆使している。中国の社会信用システムとは、地方政府などが行政府機関を通じて入手した市民の個人情報を統合して格付けを行うシステムである。金融分野の個人情報の収集が進むにつれて、問題のある企業や個人のブラックリストの作成と公開が進められた。脱税や規則違反、環境汚染企業、旅行先で問題を起こした個人など、各省庁・部局が多量のブラックリストを制定している。2014年以降は複数のブラックリストを連結し、一括検索できるデーターベースの構築が始まった。とくに重要なのはすべての企業と個人に信用コードというIDのようなものが付与されたことで、「信用中国」という公式サイトからこの信用コードを使って検索すると、企業と個人の信用記録を一覧できる。懲戒の役割を補完しているのが「失言執行人リスト」であり、このリストに登録された人は航空機や列車の利用を制限されるなどの懲戒を受けている。政治学者セバスチャン・ハイルマンによれば、習近平政権の特徴は、マルクス主義的な議論に強く影響を受けながらレーニン主義という歴史的基礎への回帰を試みている点に求められる。デジタル・テクノロジーに支えられて復活したレーニン主義をハイルマンは「デジタル・レーニン主義」と呼ぶ。
◎「新自由主義」= グレン・ワイルたちの議論
「新自由主義」は資本主義の役割を拡大させて、減税、規制緩和、民営化を進めれば、経済は成長すると約束した。資本主義の下で格差が生まれるかもしれないが、富はやがて一般の労働者のところにしたたり落ちる(「トリクルダウン」))とされた。ところが、トリクルダウンは起きていないばかりか、富そのものが生み出されていない。現に、生産性の伸び率はこの時期に劇的に下がっている。アメリカを例にすると、第二次大戦の終結から2004年までの労働生産性の伸び率は、年2.5%前後だった。それが2005年以降は1%ポイントも下がり、1.25%前後に減速している。フランス、日本など、数多くの豊かな国では生産性は10分の1に下がっており、1950年~1972年には5~7%だったが、2004年~2013年は1%にも満たない。最近のデータは、それ以上に残念な結果になっている。
◎ポピュリズム = 人々は成長の中心から疎外され、絶望の地から抜け出せない自分たちの怒りを代弁してくれるポピュリスト政治家を待望するようになる。アメリカやヨーロッパでは、自動化が進んでいる地域ほどポピュリズムへの支持が高まっていることが明らかになっている。ポピュリスト政治家に熱狂し、フェイクニュースに踊らされる人々を見下しながらエリートはこう考える。「やはり民主主義はだめだ。こんなやつらに足を引っ張られてはたまらない。天賦の才のある男性(ときどき女性)が、重要な決定をすべきなのだ」と。
◎信頼関係の回復 =
人間は本能的に、自分に近しい人をひいきする傾向がある。偏狭な利他主義ともいわれるこの傾向を、心理学者のジョシュア・グリーンは部族主義と呼ぶ。私たちの脳は部族主義向けに配線されており、そのため私たちは直感的に「私たち」と「やつら」に分け、「やつら」より「私たち」をひいきするのだ。「私たち」と「やつら」の線引きを流動化することはできる。たとえばアメリカでもっとも人種の統合に成功している組織は軍隊とスポーツチームだとされている。それは、この組織の強い忠誠心による集団的同一化が、人種にもとづいた集団的同一化を締め出すからだ。異なるコミュニティの成員との信頼関係は、あらゆるコミュニティを包摂する普遍的な理想ではなく、協働によって構築されるのだ。