斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

       ついに来た超監視社会

 

 

 


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


  

 来るべきものが来てしまった感がある。JR東日本が今秋から来春にかけ、上越新幹線の新潟駅と長岡駅で、顔認証技術を使った「ウォークスルー改札」の実証実験を行うことになったのだ。

 両駅間の定期券を持つ乗客からモニターを募り、顔写真データを登録して開始する。ICカード乗車券をデジタルプラットフォームとしていく「Suicaルネッサンス」構想の一環とされる。

 JR東は併せて静脈認証や虹彩認証などの方式も検討。10年以内の「ウォークスルー改札」実用化を目指すという。

 顔認証による改札なら、すでに関西の鉄道が実現している。この3月に全134駅中130駅で本格運用をスタートさせたのは大阪メトロ(旧・大阪市営地下鉄)だ。

 一連の動きを伝える報道は、ほとんど礼賛一色。多用される「顔パス」等々の表現が、事の本質からあえて目を背けさせる効果ばかりを伴って…。

 顔認証技術そのものは、もはやスマホへの搭載も一般的になるほど普及した。大阪・関西万博をはじめ、各種イベントでも当たり前のように利用されている。

 とはいえ、駅の改札にまでとなると、従来とは異次元の意味を帯びてくる。私たちはいつ、誰と一緒に、どこからどこへ行くのか、行ったのかを、施設の運営主体に絶えず把握され続けることになる。それらが趣味嗜好(しこう)や思想信条等々のデータと結び付けられ、解析されて、他の民間企業に売られたり、政治警察に横流しされていくのは必定だろう。

 つまりはアリのはい出る隙間もない超監視社会の到来だ。令和の世においては、この程度の主張さえ、バラ色のデジタル社会を阻害する〃老害〃と見なされて、人格ごと斬って捨てられる運命が不可避なのかもしれない。

 だか許せぬことは許せぬ。人間は生産性の奴隷などでは絶対にないのである。