盛岡だより」(2025.4 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                  貧乏人は麦を喰え

 

 

貧乏人は麦を食え」と言ったのは池田勇人とされている。そう言ったわけではない。新聞がこの見出しで報じたため、それが「本人の発言」として伝えられたのである。歴代の日本の政治家の中でもベストテンに入る暴言だと語り継がれている。

 

1950(昭和25年)12月7日。吉田内閣の大蔵大臣だった池田勇人が参議院予算委員会で、当時に高騰していた米価問題に関する質疑のなかでこう答弁した。

所得の少ない人は麦を多く食い所得の多い人はコメを食うという、経済の原則に沿った方へ持って行きたいというのが、私の念願であります」

品薄でコメの値段が上がるのはやむをえない。コメが買えなければ安い麦を食べればよい。と開き直りの答弁だと受け取られ、翌日、大臣を首になった。

敗戦直後の日本は、日に100人もの餓死者が出ていたほど極端な食糧不足に陥っていた。アメリカから小麦や脱脂粉乳など無償提供を受けていた時代でもあった。発言には「日本の経済を国際的に見ても立派なものにしたい」と前置きして述べ、時の農林大臣も「米価を定めるうえで農家の生産費を基礎にすればやむをえない」と答弁している。彼次女の紀子は、後日、「今は麦飯でも、頑張って働いて将来はみんなが白米を食べられるようになろう、という趣旨のことを父は言いたかったようだ。わが家も当時は麦飯を食べていた」と明かしている。

 

一見、無責任な答弁にみえるが、そのころの時代背景を考えると「暴言」として片付けられない何かを私は感じる。

池田勇人は、1960(昭和35)年に首相になり、「所得倍増計画」を掲げ、戦後日本の高度経済成長に貢献した。日本は世界有数の経済大国になり、「貧乏人」が減り「国民総中流」と呼ばれるようにもなった。彼の発言の裏には、彼なりの「政治哲学」があり、政治家としての「矜持」があったと思えるのだ。

時代が移り、岸田政権は2022(令和4)年を「資産所得倍増元年」とし、「貯蓄から投資へ」シフトするためにNISAを拡充した。投資に回せるほど収入がないひと、資産のない者にとっては無縁なものだ。石破政権の経済対策は補助金だらけで、国民が直接恩恵を受ける策がない。さらに国民負担を増やそうとさえする。

今、諸物価の値上がりに賃金、年金が追いつかず生活苦に悲鳴が上がっている。国民の貧しさは敗戦直後の比ではないが、似てなくもない。だが、当時の政治と違うのは、哲学もビジョンもないスケールの小さな政治家が小手先だけの姑息な政治をおこなっているということだ。それに「金まみれ」を加えてもよい。近年の政治(家)はそれが際立ってはいないか。

 

ロシアによるウクライナ侵攻が輸入小麦ばかりではなく、食料品全般の値を押し上げている。貧乏人は麦も食えなくなった。ならば、「コメを食え」と政府は言えるのか。令和の米騒動で、そのコメだって食えなくなっている。