暇工作 「反戦は労組の魂」
ひま・こうさく 元損保社員・個人加盟労組アドバイザー
さる大手損保社の門前で宣伝行動を行ったとき、人事部を名乗る管理職が出てきて「労働組合は政治活動や反戦行動をしてはならないはずでしょ」と説教調に宣伝行動を排除しようとしたことがあった。ビラの主題は賃金問題だったが、脇に書かれた「反戦」の文字を目ざとく見つけて反応したというわけだ。もちろん、この管理職氏のお説教は筋違いだ。ビラの中身も含め、労組の活動は労組自身が決めることであり、会社がその範囲を指定できるものではない。加えて、この管理職氏の、労組を見下す、「上から目線」にも反発を禁じ得なかったが、それよりなにより、この「反・反戦」の態度に、単純率直文字通りの「戦争の匂い」を肌で感じ取ってしまったのであった。労組と「反戦」は切っても切れない地続きの関係にある。「反戦」は、たたかう労働組合なら、当然の普遍的テーマである。だから、労組と「反戦」を切り離そうとする経営者の姿には、労組が本能的に反発せざるをえないのである。これが本文の主題だ。
いま、フジテレビでは、企業のありかたの刷新を求めて社員たちが立ち上がっている。80人しかいなかった労組員が一気に500人超と急増した。(フジテレビの労組はオープンショップ制で、労組への加盟は本人の自由意思による)。社内風土刷新を実現するためには、労組に結集した多数の社員の力が必要だという認識が示されたわけだが、その変革の意思とは、企業内民主主義、人権意識の確立に向けられている。中居事件の本質は、フジテレビ経営者にその意識が極めて希薄だったことにあるからだ。
もともと、全損保労組と民放労組とは絆が深かった。共同行動など交流も盛んだった。双方とも労働組合は企業に対して労働者の人権の確立・擁護、企業内民主主義を求めてきたことでも共通点があった。そうした闘いは「反戦」と根っこでつながっていた。暇は、少数派労働組合つぶしの幾多のイジメや集団的つるし上げなどの修羅場をいくつも体験してきた。その修羅場には多くの社員が会社側の前線兵士として駆り出された。暴言、イジメ、つるし上げ…。心ならずもその場に会社側の兵士として動員された社員も多数いた。まさに「お国のために闘うかどうか」を迫られたあの時代の国民と同じ立場に置かれていたのだ。その時「同じ社員に敵対したくない」と、机にしがみついて動員命令に体を張って抵抗した社員もいた。まさに「良心的兵役拒否」だった。労働組合や良心的労働者のたたかいは、こうした可視化できる内容として脈々と生き続けている。労働組合から反戦DNAを断ち切ろうとしても無理である。