真山 民「現代損保考」

       しんさん・みん 元損保社員。保険をキーに経済・IT等をレポート。


      能登半島地震被災者援助のあり方をめぐって

           損保のさらなる貢献を考える 


 

 地震発生後3か月、なお続く能登の住民の苦難

 

 能登半島地震発生から3か月経つが、被害はどれほどになるのか。内閣府が発表している「令和6年能登半島地震に係る被害状況等について」は3月19日現在のものだ。内閣府は「これは速報であり、数値等は今後も変わることがある」とことわっている。被害の全容さえ把握できていない状況なのだが、この報告による石川,富山、新潟3県の人的、住家被害の状況は次のとおりだ。

 

 人的被害

 死者 241人(全員石川県)重傷者 320人(うち石川県312人)軽傷者 964人(同876人)

 

 住家被害

 全壊 8,795(うち石川県8,480)  半壊18,749(同15,281)一部破損 82,109(同50,338)

 

 石川県の被害が圧倒的だが、石川県ではこれに加えて、①輪島市など5市町村の13,090戸で、断水が続いている(3月19日現在)、②奥能登地域にある4つの公立病院で、看護師の約400人のうち約15%に当たる60人以上の看護師が退職、あるいは退職の意向を示す、③亡くなった241人のうち、災害関連死は地震発生後2か月の時点で218人と、熊本地震の20人の10倍以上に上るなど、さまざまな苦難が続いている。

 道路、水道など、生活に必要なインフラの復旧の遅れで、避難した働き手が復帰できず、事業の再開を断念した企業もある。

 

 地震保険だけでは家を再建できず

 

 住宅の再建も遅れている。2016年4月の熊本地震では、1か月後に住宅関連の融資の申し込みが急増したが、能登では「融資の申し込みはあまり聞かない」(地元金融機関)という。地震による家屋の損害を補償する地震保険の保険金だけでは、家屋の再築に必要な金額を調達できないことも一因になっている。地震保険に加入していない世帯はなおさらだ(2021年現在。地震保険の対全世帯数に対する付帯率は34.6%)。また、地震保険は単独では契約できず、火災保険に付帯して契約するが、その付帯率も石川県は63.4%、熊本地震の翌年の2017年の57.1%に比べて6%余り増えたが、それでも30%以上の火災保険契約には地震保険が付帯されていない(全国平均での対火災保険契約の地震保険付帯率は、2021年現在69.0%、2017年に比べて6%伸びている)。

 さらに地震保険の保険金額は、火災保険金額の30%から50%の範囲で、建物は5,000万円、家財は1,000万円という制限がある。しかも支払われる保険金も、別表のとおり制限が設けられている。全損なら地震保険金額の100%支払われるが、それでも火災保険金額の半分に過ぎない。大半損の場合は、火災保険金額の60%にとどまる。

                     (損保ジャパンホームページより)

  

 政府による生活再建支援金に疑問

 

 能登半島地震からの生活再建を支援するため、高齢者世帯などに最大600万円を支給する政府の方針もすんなり実現しなかった。被害が大きく高齢化も進む地域の復興に向けた追加支援で、石川県の輪島市、珠洲市、能登町などの地域の半壊以上の被害を受けた高齢者(65歳以上)障害者の世帯の住宅に対する乗せに対して疑問が出された。

 税金を投入する以上、明確な基準に基づく公平な制度設計が欠かせず、「東日本大震災や熊本地震など過去の被災者は、なぜ同じ支援を受けられなかったのか」といった疑問だ。自費で地震保険に加入している世帯の不公平感も指摘されている。千葉県の熊谷俊人知事は、「東日本大震災や熊本地震など過去の災害との整合性や、賃貸住宅か持ち家かで公的支援に巨額の差が出ることに、政府から十分な説明なされているとは感じない」と公平性の観点から苦言も呈した。

 こうした「苦言」をどう考えるべきか?「“自助努力”の強調」という批判がある一方、「災害大国日本ではすべてを国や自治体に頼るわけにはいかない」という見方もある。

 

 被災住民の「住み慣れた所」に対する愛着

 

 そうした災害復興支援のあり方についての議論と併せて、被災住民の家、あるいは住み慣れた所に対する愛着についても、考慮を払う必要がある。それについて考えさせられる話がある。神戸大学名誉教授で、東日本大震災復興構想会議議長や防衛大学校長を務めた五百旗頭真氏(いおきべ・まこと 3月6日死去)氏の著書『大災害の時代 三大震災から考える』(岩波現代文庫)に載っている東日本大震災での話だ。

 宮城県名取市に住む吉田さんという一人暮らしのおばあさんに近所の人たちが「一緒に逃げよう」と声をかけた。が、長く暮らしたこの地を離れて生き延びることを、おばあさんは頑として拒否した。「ここで死んでもいい」と言う。周りの人たちが懸命に説得し、ようやく軟化した。その間30分、車に乗ったところで津波に襲われ、一人が奇跡的に助かった以外、全員が犠牲となった。

 この事実について、五百旗頭氏はこう述べている。「欧米であれば、老人の自由意思をドライに尊重し、“Good  Luck”と言い残して去るであろう。日本的なやさしさ、ウェットなみんな主義が、逆に多くの命を奪うことになった。事に臨んで30分も説得するのではなく、日頃から万一に備えて話し合い訓練しておかねばその瞬間を逃れることはできない。」

 五百旗頭氏の言うとおりだろう。それを認めつつ、なお、特に地方の、それも過疎地域の人たちが抱く「住み慣れた所」に対する愛着と、人のつながりに目を向け、それを前提に国も自治体も災害対策を考えなければならない。

 損害保険は、そういう人々の暮らしを支え、災害時に被災住民の生活の再建に寄与する制度になり得るのか?

 求められているのは、金額的補償だけでないはずである。