斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」
〃八代節〃と「ジェンダー平等」
さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。
♪一度でいいから 人並に あなたの妻と 呼ばれてみたい…
何かの拍子に、ふと口ずさんでいる思い出のメロディ。昨年末に亡くなった歌手・八代亜紀さん(享年73)の『おんなの夢』(悠木圭子作詞)だ。
他に『愛の終着駅』『おんな港町』『もう一度逢いたい』なんていうのも好きだった。1970年代に大ヒットした〃八代節〃の数々――。
いくつか放送された追悼番組を見ながら、思った。こういう歌はもう出てこないし、懐メロとして聴く機会も減った。いや、もしかしたら近い将来、歌うことはおろか、批判以外の文脈で語ることさえも、それはたとえば軍歌のように、ある種のタブーにされていくのではないかと、心底、怖くなったものである。
なぜって今や国際的な規範たる「ジェンダー平等」と相容れない。男社会の下で、男にとって都合のよい女のイメージを拡大再生産させたと指摘されれば、それは違うと言い切ることはできないから。
が、しかし。私は考え込んでしまうのだ。
だからって、八代節における〃女心〃のすべてがまやかしだったわけではない。人生の真実の一端を表現していたことは間違いなく、だからこそ彼女は、トラック野郎のみならず、幅広い層の女性ファンの人気も勝ち得ていた。
男女は当然、まったくもって平等だ。そうあらねばならない。ではあっても、昨今言われる「ジェンダー平等」は、それとはかけ離れ過ぎた概念ではないのか。社会的な性差に対する嫌悪を肥大化させた挙げ句、生物的な性差まで存在しないことにしてしまう発想には、どうしても共感できぬものを感じる。
いささか踏み込み過ぎた、かもしれない。ちなみに私は、八代さんの全盛期に歌謡賞のたぐいを総なめにした『舟唄』と『雨の慕情』には、前記のようなそれ以前のヒット曲ほどの思い入れを持っていない。