雨宮処凛の「世直し随想」

 

 

     年末年始の越年現場から


 あまみや かりん 作家・活動家。フリーターなどを経て2000年,自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年,太田出版/ちくま文庫)で日本ジャーナリスト会議賞受賞。


 新型コロナが5類に移行して初めての年末年始、あなたはどのように過ごしただろうか。

 久々に海外旅行に行ったという人もいるかもしれないし、帰省し家族で過ごした人もいるかもしれない。

 一方、寝正月だったという人もいれば、ずーっと仕事だった人もいるだろう。

 私はと言えば、例年通り「越年」の現場を巡った。

 大みそかの午後に訪れたのは横浜・寿町の炊き出し。「日本最大寄せ場」の一つとされる寿町では、年末年始の数日間、「越年」が行われ、炊き出しの食事が振る舞われる。この日配られていたのは年越し蕎麦(そば)。天かすや柚子(ゆず)の皮が乗った蕎麦は500食用意されたのだが、あっという間になくなった。

 大みそかの夜には東京・池袋で開催されたtenohasiの炊き出しへ手伝いに行った。

 コロナ前から毎月2回の炊き出しを続けているtenohasiだが、コロナ前に並んでいたのは150人ほど。それがコロナ禍で増え続け、昨年は平均で約540人が行列を作ったという。大みそかの夜、お弁当をもらうために寒空の下並んでいたのは300人以上。大きなトランクを引きずっていたり、大荷物を持って並んでいる人にはこちらから声掛けし、生活相談ブースに案内した。大荷物の人は、路上生活になりたてのケースが多いのだ。

 そうして元日には、「大人食堂」で生活相談を担当した。一年の始まりの日、食事や衣類を求めて訪れたのは200人近く。

 今年はみんなの生活が、もう少し安定しますように。年の始め、そう祈った。