「働く」はみんなのもの

     

                     竹信 三恵子


 たけのぶ みえこ  朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。


               家事労働とケア労働(12)不払い労働の構造化

 

 ケアと家事という労働のテーマの最後に、これを最も過酷にしている「不払いの構造化」について触れておきたい。

 男女共同参画たたきで知られる自民の女性議員は、かつて「家事は愛の行為、労働ではない」と発言した。一見、「愛の行為だから自発的にするもの」と説いているだけに聞こえる。だが、「家事は愛の行為」と他人が口にした途端、それは無償労働の強制となる。家事やケアには、そんな陰険で狡猾(こうかつ)な強制が付いて回る。

 これを、より洗練した形で制度化したのが、介護保険下の訪問介護への報酬の払い方だ。ここでは訪問介護・看護の報酬は「出来高報酬」(今年9月15日の社会保障審議会介護給付費分科会資料)と明記されている。介護件数に応じた報酬設計だから、利用者宅間の移動時間は無償にならざるをえない。

 だが、訪問介護の遂行に移動は不可欠だ。だから厚労省も、2021年1月、「訪問介護員(訪問ヘルパー)の移動時間や待機時間は原則として労働時間に該当する」とする確認通知を出している。この厚労省通知の実施を、介護報酬の仕組みが阻んでいるのだ。

 おかげで、移動時間が長い郡部では、拘束時間で賃金を割ったら最低賃金割れという事態も起きている。

 「ただで働け!」とは、決して口にせず、「愛の行為」「出来高払い」といった包囲網で働き手をじわじわと押し包んでいく手法の底には、人の生を支える必須の仕事だからこそ、できるだけ低価格に抑え込んで便利に利用したい、という多数派の意図がある。

  家事やケアを薄く広く皆で分担し、公的資金でも支える政策が重要なのは、一部の人にそんな不公正を強いることを防ぎ、良質の労働を確保するためなのだ。