今月のイチオシ本

『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』

ナンシー・フレイザー ちくま新書

 


                       

         岡本 敏則

 

    おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 


 筆者は1947年アメリカ・ボルチモアで生まれた。現在は「the New School for Social Research」の政治・社会科学教授。本書の原題は『CANNIBAL  CAPITALISM』。

 

◎「カニバル(共喰い)資本主義」=私たちを今日の状況に追い詰めた社会システムを、私はそう呼ぶ。「カニバリズム」にはいくつか意味がある。最も具体的でよく知られているのは、人間が人肉を食べる儀式だ。長い人種差別の歴史によってこの言葉は、ヨーロッパの帝国主義に捕食される側だったアフリカの黒人たちに、論理を逆転させる形で当てはめられた。それゆえ、資本家階級を指すキーワードとして持ち出すことには、ある種の満足感を覚える。資本家階級は、自分たち以外の何もかもを喰い物とする。共喰い資本主義こそ現在の危機の根源だ。私たちが直面しているのは、数十年に及ぶ金融化が生んだ、”単に”激しい不平等と不安定な低賃金労働の危機ではない。ケアあるいは社会的再生産に”限った”危機でもない。移民と人種差別が絡んだ”ただの”暴力の危機でもない。温暖化する地球が致死性の感染症を生み出す”生態系”だけの”危機でもなければ、空洞化したインフラ、先鋭化する民間武装勢力、独裁者が次々に登場する”単なる”政治的危機でもない。いや、それ以上に深刻だ。社会全体の秩序が全般的な危機に陥っている。その社会秩序の中で、あらゆる惨事が一つに集まり、互いに悪化され、私たちをみんな呑み込んでしまいそうだ。わたしたちが協力して立ち向かうべきは、さまざまな問題が撚り合わさった全般的危機なのだ。多様な社会運動、政党、労働組合、集団的行為者の闘争を調整する十分な幅とビジョンを持ち、生態系と社会の変容を目指し、解放を勝ち取る対抗ヘゲモニーのプロジェクトを思い描けるだろうか—共喰い資本主義をきっぱり葬り去るプロジェクトを。この重大な局面にあって大きな実効性を持つのは、まさしくそのようなプロジェクトなのだ。

 

◎「搾取から収奪へ」=搾取と収奪もただ方法が異なるだけで、どちらも蓄積に欠かせないからだ。自由な交換と称して、搾取は資本に移転する。労働力の見返りとして、労働者は生活費用を賄う(とされる)賃金を受け取る。一方の資本は「剰余労働時間」を私物化し、少なくとも「必要労働時間」分は支払う(ことになっている)。その反対に、収奪では、資本家はそのような慎ましさはかなぐり捨て、ほとんど、あるいはまったく支払いもせずに他者の資産を暴力的に取り上げる。奪い取った労働か土地、鉱物、エネルギー、あるいはそのすべてを事業につぎ込んで生産費用を引き下げ、利潤の引き上げを狙う。このように搾取と収奪は排除し合うどころか、手と手を取り合って作用する。

 

◎「制度化された社会秩序」=資本主義が経済システムではなく、倫理的生活の物象化でもないとするならば、いったい何だろうか。例えば封建制度と同じような「制度化された社会秩序」ととらえるのが適切だ、というのが私の答えである。資本主義をそのように理解すると、構造的な分離が、それも本書で突き止めてきた制度的な分離が浮かび上がる。資本主義において本質的なのは、「経済的生産」と「社会的再生産」を制度的に切り離したことだ。同じくらい本質的なのは搾取と収奪の分離である。此の分離によって資本主義の(二重の意味で)自由で公的な労働者階級と、権利を否認され、人種差別される「他者」とが誕生した。このような分離を前提に、資本主義を「制度化された社会秩序」として語ることは、資本主義の人種的抑圧と帝国主義的抑圧、ジェンダー支配、自然環境の破壊、政治的支配の非偶然的で構造的な重なりを示すことだ。私が『資本論』から読み取ったのは、マルクスがシステム、規範、政治という三つの批判を読み込んだことだ。最初のシステム批判は、資本主義に本来備わった(経済)危機の傾向に対する批判だ。二つ目の規範批判は、資本主義に組み込まれた(階級)支配の力学に対する批判である。三つ目の政治批判は、(階級)闘争の特徴的形態に内在する、解放を目指す社会変革の可能性についての批判である。

 

◎おわりに=資本に内在する衝動は、地球が熱球と化す寸前まで自然を貪り喰おうとする。その衝動はまた、社会的エッセンシャル(不可欠)な仕事に必要な能力を、私たちから奪い取る、公的権力を骨抜きにし、資本主義システムが生み出す問題を、もはや解決不能にしてしまう。人種差別される人々の富をとことん喰いつくし、労働階級を搾取するだけでは飽き足らず、収奪しようとする。社会理論の教訓として、これ以上の例はのぞめないだろう。だが、本当に重要なのはこれからだ。その教訓を、社会の慣行や行動の中でうまく活かせるか、資本主義という野獣を、どうやって飢えさせるのか。共喰い資本主義を、どうやってきっぱり葬るのか。その方法を考え出す時期に来ている。

 

◎白井聡氏から=本書は近代資本主義社会、その本質を理解するうえで、きわめて重要な、第一級の文献であることだ。(白井は)このことを深く確信する。今求められているのは、確信の広まりではないだろうか。資本主義社会に未来はないこと。それは持続不可能であること、それは乗り越えられなければならないこと。この核心を燎原の火のごとく広げることが、まず必要なのだ。そして、本書はその任を十二分に果たすものにほかならない。

 

*筆者から=付箋を貼り、線を引き、脳をフル稼働して読んだ。一日30から50頁。読んだ後は脳がしばらくぼっーとしていた。歳か☺