雨宮処凛の「世直し随想」

 

 

     ryuchellさんの死


 あまみや かりん 作家・活動家。フリーターなどを経て2000年,自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年,太田出版/ちくま文庫)で日本ジャーナリスト会議賞受賞。


   7月12日、タレントのryuchellさんが亡くなった。享年27。

 このことに、日本中が衝撃を受けている。

 自殺と報道されているが、動機など詳しいことはわからない。だが、多くの人がSNS上の誹謗(ひぼう)中傷に言及している。

 思えば、特に芸能界に興味のない私でさえ、昨年の離婚後からryuchellさんに対するSNS上でのバッシングがすさまじいことになっていることは認識していた。「ryuchellヘイト」という言葉を知った時には「そこまでのことが起きているのか」とショックを受けた。

 私自身もこれまでSNS上で誹謗中傷や攻撃を散々受けてきた。そんな中で思うのは、「人の善意」に期待してもなんの意味もないということだ。

 ryuchellさんの死を受けて、「思いやりを持とう」「スマホの向こうにいるのは生身の人間」などの言葉が飛び交っている。しかし、誰かを攻撃することに依存している人には何を言っても無駄だと思う。それよりも、人の命が奪われない安全対策や規制がなされることが重要だと思うのだ。今のままでは、悲劇は必ず繰り返される。

 このような話になると、「交通事故があるから車をなくせ、なんて言う人はいない」と言う人もいる。だが、車を運転する人は運転免許という資格を持っている。そのために教習場に通い、「安全な運転の仕方」を学ぶ。しかし、指先一つで誰かの命を奪うかもしれないSNSは何の資格もなく誰だって始められる。

 怒りと悲しみに暮れながら、この原稿を書いている。