「働く」はみんなのもの

     

                     竹信 三恵子


 たけのぶ みえこ  朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。


 家事労働とケア労働(7) 穴のあいたバケツ

 

 「戦争にお金を使わない国」を返上したかのようなこの社会で、ケア労働は重大な危機を迎えつつある。

 ケアは家庭内の労働、と思い込んでいる人は多い。しかし、外でも働かなければ生きていけない大半の女性は、祖父母や地域の手助け、公共の支えといった家庭外の力によって介護や保育をこなしてきた。家事専業の女性でも、それらの助けがあってこそ、家事・育児・介護を続けていける。

 このところ盛んに報道される子どもや高齢者への虐待も、多くは何かの理由でそうした支援が得られない状況の下で起きている。

 戦後の日本で高齢者虐待が問題にされ続け、少子化が進んだのは、戦前の軍拡優先予算の発想を転換しきれず、家事やケア労働を公費で支える重要性を共有できなかったからだ。それを加速させたのが「女性だけがケアを担う美しい家族」という統一協会的幻想だ。

 やっと少子高齢化が最重要課題と考えられるようになり、「まともな社会保障にはそれなりの税が必要」とする「税と社会保障の一体改革」が叫ばれ始めた。だが、せっかく増やした税も、それを注ぎ込むバケツの底に軍拡という穴が開けられたことで軍事費へとダダ洩れし、「税による生活の改善」という私たちの希望は壊されていく。

 「北欧のような高負担、高福祉に」という言説は、ケア労働やそれを担う女性の人権の尊重があってこそ現実のものとなる。だが、コロナ禍の下での女性の大量失職と休業手当の不備による困窮は、日本にはそれがないことを露呈させた。

 こうした日本の素顔を直視できなければ「バケツの穴」の怖さは見えない。7月、コロナ禍の女性たちの過酷な体験と闘いを『女性不況サバイバル』(岩波新書)として、私が出版したのも、そんな思いからだ。