今月のイチオシ本

『この国の同調圧力』山崎雅弘 SB新書

 


                       

         岡本 敏則

 

    おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 


 甲子園、神奈川代表の慶応高校に対してグランドから「髪を切れ」とヤジが飛んだ。SNS上でも炎上、球児は丸刈りでなければならないという「同調圧力」。この国では、学校、職場、労働組合、市民運動、政党内でも同調圧力が蔓延しているのではないか。筆者山崎雅弘氏(1967年生)はフリーランスの戦史・紛争史研究家。SNS上ではなじみの方。主な著書に『歴史戦と思想戦』『未完の敗戦』(集英社新書)がある。本書は、いろんな角度から「この国」の同調圧力のあり様を例示する。では、始めよう。

 

 ◎同調圧力という「怪物」=この「怪物」はその姿が見えず、しかもほとんどの場合は、自分の意のままに動く多くの人間を媒介とする形で、人の思考や行動を支配しようとします。そして、同調圧力に屈して従う道を選んだ人たちも、その瞬間から「怪物」の手下となって、別の人に同調圧力を「かける側」になる場合も少なくありません。

 

 ◎「お辞儀ハンコ」=稟議書などの会社の書類に複数の社員が承認印を捺す際、左端に一番偉い人(例えば社長)のハンコがまっすぐ捺され、その右の欄では次に偉い人(例えば部長)が「ほんの少し左(社長印)に傾けて」ハンコを捺し、その右に捺す人はさらに少し左に傾けて、という具合に、社内の序列が下の人間ほど左の偉い人に向けて傾けてハンコを捺すという、「ビジネスマナー」を指す言葉です。銀行などの金融業界では、このやり方に従わないと大問題になるというほど重視されてきた。集団内での同調圧力の道具としてのマナー。

 

 ◎日本人は同調圧力が好き?=日本人の多くは、同調圧力という国民相互が自発的に統制し合うやり方が「好き」。日本人の多くは同調圧力に従う「マイナス面」よりも、それが集団に及ぼす「プラス面」の方が大きいと考え、それを社会からなくすよりも、むしろあった方が、自分にとっても望ましいかも、と理解しているのではないか。私は同調圧力なんて全然好きではないぞ、という方もおられるかとは思います。でも、「だから私は同調圧力を社会から無くするための戦いを日々続けている」という市民が、今の日本にどれだけいるでしょうか。

 

 ◎自由と秩序=日本の社会は昔も今も、社会の中での優先順位として「個人の自由」よりも「全体の秩序」を上位に置く傾向が強いようです。社会の秩序を、一人一人の人間の自由よりも優先する考え方の人たちは、いたずらに自由を認めると、社会の秩序が乱れた「カオス=混沌」の状態になるという不安や恐怖を、集団の中で共有しています。なので、自分の生活にまったく関係のない領域(例えば夫婦別姓や同性婚など)であっても、社会の秩序を乱す恐れがあると判断したらなら、新しい自由が広がるのを邪魔しようとします。このような考え方が支配する国の典型例が、「全体主義=ファシズム」などの権威主義国です。

 

 ◎支配する側へ=昨今の日本では、自分は権力に支配される側の国民なのに、なぜか支配する側の首相や政府の目線で物事を考えたり、自分も安い賃金で雇われている被雇用者の立場なのに、なぜか経営者の目線で雇用問題を考える人が珍しくないようです。最低賃金を上げろ、という労働者のデモを見て、自分も被雇用者の立場なのに、妙に冷めた態度で「むやみに賃金を上げて会社の経営が傾いたら、困るのはお前らだろう」などと、経営者目線で思考してデモの参加者をあざ笑う態度をとったりします。あるいは、政府の横暴な政策に対して座り込んで抗議活動をする市民を見て、自分も税制など他の政策で現政権から冷遇されている立場なのに、「あいつらは自分勝手な行動で社会に迷惑をかけている」などと悪口を流布し、抗議活動への賛同が広まるのを邪魔したりします。リーダーの思考形態への無自覚な同調だと言えます。

 

 ◎例えば問題になった維新馬場代表の「共産党はいらない」発言の底にあるもの=公的な場面で、自分の支持する意見が支配的な意見だ、あるいは支持が増大中だと感じている意見の主張者は、それを口に出してまわりの人々の支持を得たがるのに対し、少数派だと感じている人々は、公の立場では沈黙を保ちたがることになる。こうして「知覚化された多数派」の「声」が増大する結果、意見の事実上の分布、また「意見の風土」についての印象は、ますます支配的な意見、増大中の意見を多く見積もる方向へと歪められることになる。このことがさらに多数派への声の増大と、少数派の沈黙を促す。こうして多数派意見の方向への「沈黙の態度」現象が生じ、ついには支持の「雪崩現象」を引き起こすことになるのである。少数派や負けている側の人々が存在する限り、自分が多数派に属することで安心感を得るという心理的な思惑は「完成」しないことになる。逆に言えば、少数派の存在は、安心感を得たくて多数派に属する判断を自ら選んだ人たちにとって、自分の判断は正しくはないかもしれないという疑念を抱かせる、不安の種になります。安心感を得たくて多数派に属する人々が、少数派に様々な形で同調圧力を加えるという社会的な現象は、平和な時代よりも、戦争や天災、感染症の拡大などの「非常時」に、より強く現れます。

 

 ◎最後にマハトマ・ガンジーの抑圧と戦う人々に向けての言葉=あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。