守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


 奇跡が起こった。

 

 読者の皆さんには、そう簡単には信じられないかもしれない。もし私の身近に起きたのでなければ、私自身が眉唾だと思ったことだろう。私は決して迷信深い人間ではない。オカルト映画的な超常現象は信じない。でも、これから書くことは本当に起こったことなのだ。

 

 先月号で紹介した8時15 分で止まった時計が、8月2日動きだしたのだ。広島の原爆から77年と361日後に、突然!

 Sさんに時計を貸し出す前日に写したのが先月の写真だ。それから私自身が丁寧に梱包した。翌日Sさんが取りに来て、リュックサックに入れて劇団の稽古場に運んだ。もちろん、揺れたりぶつけたりしないよう十分な注意を払ってくれたはずだ。劇団でいったん開梱し、他の団員さんたちにも見てもらった。その時、時計の針は確かに8時15分を指していた。それが、朗読劇上演当日に会場で開けてみたら動いていたというのだ。

 その日の午後Sさんが電話をかけて来て、「真実さん、時計が動いているんです!」と言う。私が「針がずれちゃったの?」と尋ねたら、「違うんです。カチカチ音を立てて、針が回っているんです!どうしましょう?」と泣きそうな声で言った。瞬間、全身が鳥肌立った。どうしましょうと聞かれても私もどうしたらいいのかわからないから、とりあえずそのまま様子を見ることにし、公演スケジュールが終了するまで貸しておくことになった。動揺しているようだったので、「動いたのは私の父の遺志だと思う。でも、父なら原爆に反対する人たちを護りこそすれ、脅かすことは絶対に無いから、不気味だと思わず頑張ってほしい」という旨のメールを送った。でもメールを書きながら、私自身も胃袋のあたりに重たいものを感じていた。

 この時計は8時15分で止まっているところに価値があるのだから、もちろん動かそうと思ったことはなかったし、ゼンマイを巻く鍵のようなものは失われている。時計としての機能はもうないものと思っていた。現実的に考えれば、被爆したときにゼンマイの間にゴミか木片かが挟まり動きを止めた。その異物が何かのはずみで落ち、時計が生命をを取り戻したと考えることはできる。でも、なぜ今?

 その晩父の遺影の前で長く考えた。これは父からのメッセージに違いない。何を伝えたいのだろう。私に何をやれと言っているのだろう。もしかしたら大震災がくるのか。日本がまた戦争を始めてしまうのか・・・。悶々と考え続け、空が明るくなってからようやく眠りに落ち、何か気持ちの悪い夢を見た。

 

 考えても考えてもらちが明かないから、国会議事堂前に行ったときに顔見知りのお坊さんに話してみることにした。原水禁大会や国会行動でうちわ太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」と唱えている日蓮宗日本山妙法寺のお坊さんの一人だ。かいつまんで話をすると、驚いたことに晴れやかな笑顔で「すごいねー!面白いねー!」と言った。曰く、浦上天主堂のマリア像の頬に涙を流したような跡が付いたように、この世には人間の知識を越えたことが起きうる。でもそれは悪いこととは限らない。恐れることはない。時計が動いたのは父の遺志と関係があるだろうが、無理に意味を問わなくてよい。間違った解釈をしてしまうかもしれないから意味をこじつけず、起きたことをありのままに受け入れればよい、ということだった。

 私は仏壇も神棚もない家で育ち、決して宗教心があるわけではないのだが、お坊さんと話して心が静まったのは確かだ。やはり宗教家と言うのは、俗人とは違う世界観をもっていて、それを平易な言葉で話せる人なのだろうと思った。

 

 人は説明できないことに遭遇すると不安になる。その不安が時には人を排他的にし、さらには攻撃的にもする。関東大震災時の朝鮮人虐殺がその端的な例だろう。ウクライナ戦争と北朝鮮のミサイル実験に乗じて国民の不安を煽り、軍拡増税をしようとする岸田政権のやり口は、この心理を悪用するものだ。でも、未知のことに遭遇しても、説明できない事態に直面しても、物事をあるがままに受け入れられれば、平穏な心を保ち冷静に考えることができる。この不穏な世の中で一番大切なことは、時流に流されず、扇動に踊らされず、理性を保つことだと思う。

 

 時計は約11時間35分動いて止まった。残念なのは、私自身は時計が動くところを見られなかったことだ。この時計が時を刻む音を聞いてみたかった。きっと父の心臓の鼓動のように感じただろうと思う。