石垣島、与那国島、宮古島3島をめぐる平和の旅

           京都在住 まつむら・ひろこ


  (石垣島)↠(与那国島)

石垣島に到着した日は、自衛隊戦車が基地に運ばれた日で、抗議集会が開かれていました。翌日、石垣空港から与那国島まで30分のフライト。台湾まで110㎞日本最南端の島です。島のあちこちに牧場があり滑走路の周りにも放牧されていました。すっかりなごんでしまいましたが、島で唯一のホテルは自衛隊の貸し切りと知らされ、思わず現実に引き戻されました。私たちは民宿に分宿です。

 当日、公民館で交流会が行われジャ-ナリストの金平茂紀さんが「昨年はウクライナを訪問したが、日本もいよいよ戦争前夜を感じさせます」と述べられていました。

 

紺碧の海と白い波。風葬と呼ばれる伝統的な大きなお墓群がひろがる独自の文化。TVドラマの「Drコト-診療所」はこの与那国島で撮影されました。


 (宮古島)

翌日、石垣島経由の飛行機で宮古島へ。平坦な大きい島にはオレンジ色の屋根の立派な新築マンションがあり、ここには本土から来た家族連れの自衛官が住んでいるそうです。メロン農家の男性が仕事の手を止めて教えてくれました。その隣には広大な自衛隊基地。戦車などズラ-と並んでいます。基地のゲ-ト前で同行の加藤さんが門番の自衛官に話しかけました。「あなたは誰に雇われているのですか?給料は私たちの税金でしょ?」「お生まれは?」。その自衛官は「答える立場にありません」。そんなやりとりを観ていたのか、別の自衛官数人がでてきました。銃口をこちらに向けて…自国民に銃を向ける軍隊!恐ろしい体験でした。

翌日も宮古島見物。アリランの碑の横に高沢義人の歌碑がありました。「補充兵のわれも飢えつつ餓死兵骸焼きし宮古(しま)よ八月地獄」。

 

ミサイル防衛できる自衛隊基地はシェルタ-で強靭化されていました。地元の業者は防空壕の仕事が増えます。案内役の上原清美さんが業者に聞いたそうです。「あなた方は命と引き換えに儲けるのが嬉しいのですか?」。答えはなかったそうです。

八重山平和祈念館では「戦争マラリア」について若い女性が熱心に説明してくれました。戦争中、小学校に来た軍人が島のひとたちをマラリアのいる島に強制移住させてマラリア感染と餓死させたとのこと。そして、残った家畜はすべて軍隊の食料になったそうです。 


   

  (夕方は居酒屋へ)。

漁港で巨大なカジキマグロの解体作業をバスから見たので、居酒屋さんのスタッフに聞くと「一晩寝かして刺身にします」といいます。てんぷらも内臓の煮ものもすごかった。お酒がダメな私が興奮のせいか、居酒屋が楽しくなり、毎晩ジョッキ1杯のオリオンビ-ルを飲み干したのですから驚きです。居酒屋の締めは地元のかたのサンシン・太鼓・唄。思わず私たちチ-ム京都の3女性はたちあがって手を振り踊りだしてしまいました。

 

(旅の感想)

印象に残ったのは海の美しさ。島の人たちの絶えることのない暮らしのなかでのたたかいと暖かさ。全国の津々浦々で地道に前向きに生きておられる皆さんとご一緒でき、親しく交流できたことです。総勢39名の、この旅は、私の宝となりました。