昭和サラリーマンの追憶 

              

      

 

           前田 功


 まえだ いさお 元損保社員 娘のいじめ自殺解明の過程で学校・行政の隠蔽体質を告発・提訴 著書に「学校の壁」 元市民オンブズ町田・代表


  なぜ昔はよかったと思うか

 

 テレビでよく、昭和の曲の歌番組をやっている。「当時はいい時代だったなあ」「みんなが未来に希望をもっていたなあ」「特に、働く環境という面で、今のようにギスギスしていなかったなあ」と思いながら見ている。

 

 「24時間戦えますか。」というCMがあった。今の時代なら、会社のために「24時間戦えますか」などと聞かれたら、そんな会社は超ブラック企業と言われて、ネットで炎上しそうだ。だが当時は、社員は会社を守る「企業戦士」。会社のために尽くすことこそが男の生きる道という時代だった。「戦士の休日」という曲もヒットした。

 この時代、若干の批判はあったものの、多くの会社に終身雇用や年功序列が根付いており、まじめに仕事をこなして年月が経てば、ある程度の昇進と昇給が約束されていた。ただ、「年功序列」については、民間企業ではさほど完全なものではなかったということについて一言触れておきたい。大卒男子だけを見ても、入社して20年くらい経つと、同期の中に、役員もおれば係長もおり、明らかに昇進・昇格で差がついていた。(忌むべき組合差別もあった。)当時、損保業界でも、社内昇進して40代後半あるいは50代前半で社長になった人がいくらかいたが、どこかで先輩たちを追い抜かないと、そうはなってないはずだ。この点、霞が関キャリアの徹底した年功序列とは違うということである。

 会社側も、社員(従業員)あっての会社という考えで、社員を大切にした。多くの人は、未来を信じて人生設計を立てることができた。当時も実力主義が云々されていたが、社員の忠誠心を得た企業と、将来を保証された社員とのもたれあいの構造の中でのものだった。理由はともあれ、いい時代だったと言える。

 

 この30年あまり、低迷が続く日本社会。当時と違うのは、「株主」が幅を利かせていることだ。今は、会社経営のすべては、株主様の御為といった感じがする。 当時、筆者も管理職の端くれとして経営にかかわることもあったが、「株主のためにうんぬん」という話が出たことは一度もなかった。株主のことなど全く考えず経営することができた。言うなれば、社員と社員のなれの果てである社長など経営陣とで、やりたい放題できた。

 斎藤幸平が言っているワーカーズコープ(労働者協同組合)は、労働者が出資しなければならないが、当時の会社は、そこで働く者が出資なしで経営を実質的に差配していたのだ。(ちなみに、日本でも「労働者協同組合法」が2022年10月施行された。)

 

 なぜそんなことができたのか。

 それは、取引先との株式の持ち合いが多かったからだ。「政策投資」と呼ばれたりしていたが、お互い株を持ち合っているのだから、経営に文句をつけるわけがない。文句をつければ逆に、文句が帰ってくることになるからだ。また、株価を上げるために「自社株買い」なんてことはなかった。(当時は、「自社株買い」は 不当に株価を上昇させる恐れがあるとして原則禁止されていた。) 報酬をカネではなく株式で払うストックオプションなんてのも一般的ではなかった。

 社長や専務の給料は役員報酬という名称ではあるが、彼らも実質は給与生活者。つまり労働者。そう考えると、会社運営は社長を含む社員によるプロレタリアート独裁で行われていたともいえる。

 もう一つの理由は冷戦である。この時代は、冷戦の中で資本主義が最も優しくなった時代だった。資本主義というのは、資本家が労働者から収奪する仕組み。冷戦の時代には、労働者をあまり収奪しすぎると、「社会主義のほうがいい」とばかりに社会主義陣営に取り込まれてしまう恐れがあった。そのため剥き出しの資本主義はなりを潜めていたのだ。

 ゴルバチョフが日本を訪れた際、「この国は世界で最も成功した社会主義国だ」と言ったそうだ。それは、よく働く官僚が国内経済を計画的に運営して、一億総中流と言われたように貧富の差が少なく、働く人が尊ばれる社会を実現していたことを言ったのだと思う。

 国の経済運営だけでなく、先に述べたように、個別の会社の運営においても、考え様によってはプロレタリアート独裁に近い運営が行われていたのだが、そこのところはゴルバチョフは知らなかったかもしれない。

 

 そんなこんなで、昔からアカではないがピンクかもしれない(先月号参照)筆者としては、昔はよかったと思うわけである。