斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

    人権をめぐる米国への違和感 


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


 LGBT理解増進法が可決・成立した。レズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなど性的マイノリティーへの理解を広めようとする法律だ。

 制定に至る経緯や内容については、多くの論考が出ているので、本稿ではおく。この問題に関する議論に接するたび、いつも感じていた違和感だけを記しておきたい。

 欧米に比べて日本は遅れている、という話題で、よく取り上げられるエピソードに、こういうのがある。バイデン米大統領が2021年1月、軍隊へのトランスジェンダーの入隊を禁じた前トランプ政権の措置を取り消す大統領令に署名した。さすが民主党の大統領は人権意識が高い、それに引き換え日本はウンヌン、と。特に関心のない読者も、どこかで聞かされた覚えがあるのではないか。

 興味深いのは、この際見習うべきお手本として語られる米軍なる存在の是非そのものが、問われる気配もないことだ。なるほど米国民の多数派にとっては、彼らこそ〃愛国心〃のシンボルなのかもしれない。米軍は常にハリウッド映画のヒーロー集団でありもすることだし。

 だが、その実態はどうか。世界の警察官を標ぼうしていても、せん滅される側の民衆から見れば、世界の広域暴力団以外の何物でもありはしない。もっと言えば、とどのつまりはウォール街の資本家たちのために殺りくを繰り返す、要は富裕層の用心棒以外の何物でもないのではないか。

 第2次世界大戦後も、一時たりと戦争を絶えさせたことのない米軍は、罪もない人々をいったい、どれだけ殺してきたのだろう。広島や長崎への原爆投下に対する謝罪さえ、いまだにないままなのだ。

 それでいて、LGBTには優しくなった、だから立派だ、という論理展開が、どうにもふに落ちない。偽善というのとも違う気がする。