阪神村上投手の完全試合を岡田監督が阻止。これでは野球がツマラナイものになる!


           玉木 正之        


 たまき・まさゆき スポーツ文化評論家,日本福祉大学客員教授。著書に『スポーツとは何か』(講談社現代新書)など多数。近刊は「真夏の甲子園はいらない 問題だらけの高校野球」(編・著、岩波ブックレット、2023年)


 4月12日。阪神の村上投手は、対巨人戦で7回表まで1人の走者も出さず。あと6人で完全試合! が、岡田監督は8回、彼に代打を送り完全試合の大記録は消えた。

 それどころか、1対0でリリーフ投手が同点ホーマーを浴び、阪神は結果的に延長戦で勝ったものの、村上投手の勝ち星まで消えた。いやそれ以上に、メジャーにも存在しない「プロ初勝利完全試合」の超大記録も水泡に帰した。

 監督がチームの勝利に固執し、大記録達成寸前の投手を交代させることは間々ある。

 昨年4月にプロ野球史上16人目の完全試合を達成したロッテ佐々木投手は、次に登板した試合でも8回まで完全試合ペース。しかし、当時のロッテ井口監督は、佐々木投手自身の「疲れた」という言葉を聞いて降板させた。

 私もその時は、若い投手の身体をいたわる監督の判断を支持した。が、重大な事実を忘れていた。完全試合を2度記録した投手は、連続でなくても世界中で皆無なのだ。

 プロ野球16人、メジャー32人の完全試合達成投手も全員1度だけ。佐々木投手は「完全試合2度」の超大記録に、投球数102球であと3人に迫っていただけに、挑戦してほしかったと今になって思う。

 07年の日本シリーズで8回まで無安打無四死球を続けた中日の山井投手も、あと1回の場面で落合監督に、リリーフエースの岩瀬投手との交代を告げられた。指の血豆がつぶれていたとはいえ、ワールドシリーズでもヤンキースのラーセン投手が1956年に1度記録しただけの超大記録。ならば挑戦を……。

 昭和の時代は監督の命令に従わない選手も多かった。が、平成・令和の選手は大人しくなったのか? しかし、三振も奪えずホームランも打てない監督が、選手より目立つ野球はツマラナイと思う。