守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


 前回に続きもう一度4月の「おとなのための紙芝居」で気づいたことを書こう。

 

 この日のスペシャルゲストは、紙芝居作家の本多ちかこさん。美大出なので当然のこと絵が上手で、実演もプロ。わざわざ遠くから観に来るファンもいるし、作品は出版されてもいる。紙芝居といっても決して子供だましではないし、童心に帰って無邪気に笑いましょうというものではなく、歴史や社会を考えるきっかけにもなる。今回の演目は「駐在さん」。

 

 戦後間もない頃、東北地方の村に若い駐在さんが赴任してきました。駐在さんはやる気満々。ある日、駐在所の前を幼い姉弟が歩きながら、嬉しそうに「今夜はお米がいっぱい入ったおかゆが食べられる」と話しているのを聞いてピンときました。「今日、闇米が届くに違いない!」

 駐在さんが村に続く一本道で張り込んでいると、予想通りオート三輪がやって来ました。車を止めさせて荷台を調べると、七輪、練炭、鍋釜等が積まれていました。居合わせた村人は顔面蒼白。闇米は奥底にあるに違いないと睨んで検査していた駐在さんでしたが、ふとお腹をすかせた子どもたちの笑顔を思い出しました。闇米を没収されたら、子どもたちはどんなにがっかりすることだろう。そこで駐在さんは、荷台の一番下まで検めず「通って良し!」と言って見逃してあげました。それ以来、彼は村人から長く愛される駐在さんとなったのでした。

 

 フリートークの時間には、高齢の参加者が口々に戦後の食糧難時代の体験や、買い出しの苦労話にうなづき合った。その後、闇米の話から発展して米穀通帳の話題になった。私は米穀通帳というものがあったことは知っていたけれど、不勉強ながら米の配給をもらえるクーポン券のようなものだと思っていた。ところが、当時は住まいを借りるのにも、就職するのにも米穀通帳の提示を求められることがあったという。

 沖縄から集団就職で上京した人の話では、東京に来て交付された米穀通帳を仕事の周旋屋が集めて取り上げてしまった。大事なものだから失くさないようにという理由だったが、実は少年少女が逃げ出せないようにするためだったそうだ。

 驚いたのは、敗戦後国際電話の交換手をしていた女性の話。アメリカに住む日系人から交換台に親戚や知人の安否を調べて欲しいという依頼がたびたびあったという。住民台帳が焼失した地域もあったし、ほとんどの人が電話を持っていなかった時代だから電話帳で調べることもできない。それでも、名前と大雑把な住所をたよりに該当する地域の米屋にシラミつぶしに電話をかけて、本人を探し出したことが何度もあったそうだ。

 

 それで気付いた。米穀通帳って昭和のマイナンバーカードだったのだ!音信不通の知人を探してあげるのは親切だけれど、見方を変えれば監視社会のツールだったということだ。

 まさかマイナンバーカードを持っていないとお米が買えなくなるなんてことにはならないだろうけど、常に人の目を気にしながら委縮して生きるなんて嫌だ。思想信条、言論や表現の自由を制限されたくないし、人は誰でも他人に知られたくないプライバシーがある。憲法13条には、『すべて国民は、個人として尊重される』と明記されているのだから、マイナンバーは憲法違反だ。絶対廃止させよう!