今月のイチオシ本


『マルクス 生を呑み込む資本主義』白井聡 講談社現代新書

                       

          岡本 敏則

 


 白井氏(1977年生)の本は『永続敗戦論 戦後日本の核心』(2013)、『国体論 菊と星条旗』(2018)、『長期腐敗体制』(2022)に続いて4冊目である。

 斎藤幸平氏(1987年生)と並んで今や日本の若手オピニオンリーダーであろう。今なぜ「マルクス」か。それは「われわれ一人一人の人間もまた、資本主義というシステムに取り込まれる対象なのだ。すでに資本主義によって取り込まれ、その破壊的作用を受け、身も心も資本主義のシステムに適した存在であるべく変容させられているのだとすれば、どうだろう。我々はそれでも無関心でいることができるだろうか。われわれ自身の中で資本主義がどう深化しているのか―それをマルクスの理論を通じて検証する」。

 

 ◎「労働力の商品化」―富岡製糸場=明治政府が殖産興業政策のシンボルとして建てた官営富岡製糸場の工女として集められたのは、士族の子女だった。近代的製糸業を広めることを目的に、彼女たちは身に着けた技術を伝播する役割を期待されていたため、教育のある人材として選ばれた。製糸工場が日本社会に定着した後には、そこで働き搾取を受けたのは、過剰人口を抱えた農村から送り出された子女たちであった。

◎『資本論』で提示され、現代資本主義を考察するうえで、最も強力なツールであると氏が考える「包摂(inclusion)」という概念=社会学などでよく使われる「包摂」では「社会的包摂」などといった言い回しで使われ、どちらかと言うと肯定的な意味合いで使われる。マルクスの言う「包摂」には、何かを包み込み、徐々に圧迫し、ついには窒息させるという意味合いを読み込むことができる。何が何を呑み込むのか、端的に言って、資本主義のシステムがわれわれ人間の全存在を含むすべて、自然環境を含む全地球を包み込む、ということだ。包摂の全面性は、一方では資本が浸透する領域の面的な拡大として現れ、他方では質的に高度な浸透の深化として現れる。われわれにとってなくてはならない物質代謝の過程が商品を介して行われ、商品が資本を生み出すからだ。かくして物質代謝の過程の総体を資本が呑み込み、価値増殖の手段としようとする。このような傾向の進展こそ、グローバリーゼーションの内容にほかならない。

 

 ◎新自由主義段階の包摂―日本の場合=日本で感じられるのは、人々の抵抗の意志そのものの衰微である。戦後日本における労働争議(ストライキ等)の発生は、1974年のピーク時には発生件数にして5000件以上、参加人数は350万人以上を数えたのに対し、1980年代以降、発生件数は1000件以下に下がり、減少し続けている。2021年では、争議件数はわずか55件、参加人数は10000人にも満たない。多くの日本人にとり、ストライキが不便を生じさせる煩わしいものでしかなくなっている。

 

 ◎東京ディズニーランドで起きたパワハラ裁判(2022年3月千葉地裁で原告勝利の判決)=原告は上司から労災認定を取り止められただけではなく、同僚たちから「30才以上のババァはいらねーんだよ、辞めちまえ」「病気なのか、それなら死んでしまえ」といった悪口を浴びせられていたという。労災の発生、会社の側からのもみ消しという事態は、誰の身にも起こりうるということに思い至らないばかりか、会社に盾突くものは人間としてのごく当たり前の同情すら与えられず、排除すべき対象となる。資本から見ればこれら「同僚たち」は「最良の労働者」であろう。

 

 ◎「協働」や「共感」も商品になった―「居酒屋甲子園」=2014年1月に放送された 「NHKクローズアップ現代」は、多くの視聴者に衝撃を与えた。取り上げられたのは、「居酒屋甲子園」とよばれるイベントだった。全国から参加した居酒屋の店員たちが、5000人以上の、その大半が居酒屋の店員であろう来場者の前で、居酒屋で働く夢や希望をつづった言葉を感極まりながら絶叫する。「夢は一人で見るもんじゃなくて、みんなで見るもんだ!人は夢を持つから、熱く、熱く、生きられるんだ!」。出場者の同僚や来場者たちが、こうした「感動」「笑顔」「仲間」「感謝」という語彙がちりばめられた言葉を聞いて涙ぐんだり、笑顔を浮かべたりと、共感的な反応を見せる様子を映し出した。このような居酒屋労働者たちの労働条件は、同番組で紹介された事例では、一日16時間労働で年収が250万円。「賃金の生存費説」をも下回る水準である。

 

 ◎やりがい搾取=現代のわれわれは、協働、共感することができなくなっている。だとすれば、そうした感覚を「買う」しかない。居酒屋労働において、「感動」「笑顔」「仲間」「感謝」といった語彙で語られる情動は低賃金を補償するものとして機能している(やりがい搾取)がこれらの情動が強化され爆発的に表出される場を資本の側が用意するとき、これらの情動もまた資本が提供する商品となる。労働者のあいだで自然発生しない「協働」「共感」「連帯」「団結」を資本は労働者に売る。これら情動商品の代金は、労働者の賃金から天引きされている。低賃金はある意味でその結果なのだ。

 

 ◎最後に氏から=「笑うな、泣くな、ただ理解せよ」、と哲人スピノザは語ったという。マルクスはただ理解しようとしたが、「笑うな、泣くな」、の教えには従わなかった。実際『資本論』の行間には、マルクスの笑いと涙があふれている。際限のない包摂が続く中で、我々が手放してはならないのはこの精神ではないだろうか。包摂の深化がもたらす滑稽事を笑い飛ばし、その不条理に怒り、悲惨に涙する。我々の魂が監禁され絞殺されようとするとき、泣き、叫び、怒り狂ってよいのである。本書が読者にとって自らを解き放つ準備として役立つことを、筆者はねがっている。