盛岡だより」(2023.4) 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                  消える国蝶・登るハイマツ

 日本の国蝶、オオムラサキが減り続けている。このままでは絶滅が懸念されると環境省が発表したのは、2019年11月12日のことだった。記事には、「オオムラサキをはじめ、身近な里地や里山にいるチョウの87種のうち、約4割が絶滅危惧種のレベルまで減っている」とあった。

 

 オオムラサキが国蝶に決まったのは、1957(昭和32)年、私が中学3年のときだった。植物やチョウが好きな先生が、教室に飛び込んできて、「ニュース!ニュース! オオムラサキが国蝶に決まった」とうれしそうに教えてくれた。先生は、よく学校に角(つの)のある幼虫をもってきて見せてくれていたし、成虫は近くの林でよく見かけていたから、クラス全員がこのチョウを知っていたはずである。

 国蝶と指定するときの条件は、「日本中に分布し、よく目にして誰でも知っていること。大形で模様が鮮明、飛び方などに特徴があること」だったそうだ。オオムラサキは、その条件にピッタリである。モンシロチョウより少し大きめで、黒とコバルトブルーに白と黄色の斑点がちりばめられた翅(はね)は輝くようで美しく、高い木の周りをグライダーのように飛ぶ姿も優雅である。

 だが、私が見たのはそのころだけで、高校からは町に住んで見るチャンスもなくなった。以後、見た記憶がない。今では「よく目にして、誰でも知っているチョウ」ではなくなっているのではないのか。エノキやクヌギ林が減り続け、生息域が狭まってきているからだが、それでも、岩手県下の森林公園などではまだ見かけるそうだ。

 

 チョウに限らず、動植物も環境変化の影響を受けている。

 ニホンジカの北限は岩手の県南だったが今は青森県まで棲息域を広げ、宮城県までだったイノシシは4年ほどで岩手県北部まで北上した。

 動物は適地に動けるが、自然の草木はそうはいかない。樹木は200~400キロ移動するのに100年以上はかかる。気候温暖化がこのペースですすめば、樹木の移動が追いつかず冷温帯にある日本のブナ林はその90%が消滅するとの予測もある。1993年、世界自然遺産に認定された秋田県と青森県にまたがる世界有数のブナの原生林「白神山地」も危ないということだ。

 気温の上昇で、リンゴに酸味がなくなってきているという。40年後の主産地はすべてが北海道になると予測され、青森のりんご農家を悩ませている。岩手県中央部が北限だった「孟宗竹(モウソウチク)」は、すでに北海道に渡った。高山植物はより高い地がなければ行き場を失い消えてしまうが、高山帯では登り始めているハイマツが観察されている。

 

 自然環境がこの60年ほどで様変りしている。

 子どものころ、田植えが終わるとツバメが飛び交い、うるさいほどカッコーが鳴いた。「ギョギョジギョギョジ」とヨシキリが鳴き、トンビは空高く「ピーヒョロロロロ」と鳴いて輪をかいた。スズメたちはすみかを失い、餌も失って孵化したヒナの4羽のうち3羽が冬を越せず、9割も数を減らした。庭先で遊び木々で騒ぐその姿も、色づいた田んぼの上を群れ飛ぶ光景も見ることはない。ホタルもオニヤンマも、イナゴさえもどこかにいった。秋空いっぱいに飛ぶ赤トンボはいつから見ていないだろうか。加えて、国蝶のオオムラサキも消えてしまっては一大事である。

 

 昔、四季はゆるやかに、しかも確実にめぐってきた。夏の午後には決まって夕立が降った。台風は、毎年「二百十日」ごろにやってきたが大きな被害はまずなかった。冬は、今よりずっと雪が多かったが、おだやかだった。だが、近年、春と秋が短くなり、梅雨もそこそこすぐに猛暑になる。涼しくなったと思ったらとたんにもう冬だ。極端になった気象は、毎年「経験したことのない」を更新し続けている。

 自然環境の変化は、人間社会の活動変化とそれに伴う地球温暖化によるものだ。自然の生きものにとっては、それが死活問題になっている。環境と生きものの変化は、いずれは人間社会に及び、その打撃を思い知るときが必ずくる。 

 

 人間が、「このまま何もしなければ」の話だが。