「働く」はみんなのもの

     

    ジャーナリスト 竹信 三恵子


  家事労働とケア労働(2) 劇症型と生活習慣型

 

 日本の長時間労働は国際的にも国内的にも大きな問題とされてきた。長時間労働がクローズアップされたのは、1980年代に「過労死」が浮上してからだ。

 「過労死」は、KAROSHIとして海外メディアでも取り上げられ、国際語になった。日本の長時間労働は、不名誉な国際語をまき散らしたということだ。

 このように、人の死という「劇症型」の災厄が生まれたことで、長時間労働は初めて「社会問題」となった。だが、それが子育てや料理など暮らしを支える家事・ケア労働も圧迫するものとして社会問題となることは、ほとんどなかった。

 家事やケアへの圧迫がかろうじて問題化したのは、「少子化」という社会問題と結びつけられてからだ。実は私は1990年、「朝日ジャーナル」という雑誌で、長時間労働による家事や育児への圧迫を人口減少に結びつける記事を発表している。「子なし社会がやってくる」というタイトルの記事だが、これは恐らく、長時間労働と少子化、家事・ケア労働を正面から結びつけて論じた初めての報道となった。

 記事は反響を呼んだが、それは少子化と経済活動を結び付けたものだったからだ。長時間労働が仕事と育児・家事の両立を妨げ、女性たちが出産をためらうようになり、その結果、人口が減り、企業は多数の消費者を失って業績が低迷し、労働力も減って人件費の高騰や労務倒産を招く、というストーリーだ。

 そうした補助線を引くことで、日本の生活習慣病である長時間労働は、ようやく、生活の面からも劇症型の病として認識されるようになった。

 直視したくない労働としての家事とケアの重みは、ようやく、わずかではあるが社会に意識されるようになっていく。