「脳ミソ筋肉」は大嘘!「文武両道」こそ日本のスポーツの伝統なのだ


           玉木 正之        

 昨年12月18日、東京の講道館で「文武両道杯全国高校柔道大会」という少々珍しい大会が開かれた。これは全国から柔道部活動を通じて文武両道を実践する高校を招待する大会で、国立大学や有名私立大学への進学者が多い高校が招待され、私立大学への入学が優遇される系列高は招待校から除外された。

 招待されたのは、日比谷、筑波大付属、逗子開成、栄光学園、浦和、灘、浜松西、筑紫丘、東海、西大和学園、大阪星光、ラサールなど男子29校、女子6校。国公立大合格者の多い高校がずらりと並んだ。

 柔道創始者の嘉納治五郎は神戸市灘の「清酒菊正宗」のたる元の御曹司。官立外国語学校(東京外語大学)で英語と独語を習得後、東京大学で政治経済を学んだ明治の超エリート。灘高の設立にも関わり、1912年ストックホルム五輪への日本初出場に貢献。クーベルタン男爵とは英語で書簡を交わす知識人だった。

 そんな柔道の「文武両道の伝統」を奨励しようと、日本柔道連盟の山下泰裕会長が力を入れた大会は団体戦で男子は長崎東高校、女子は盛岡第一高校が優勝。だが、重要なのは文武両道のメッセージだ。

 そもそも日本で欧米からスポーツを取り入れたのは、大学や旧制高校、師範学校(嘉納治五郎も学長を務めた教師養成学校)の学生たちで、五輪出場選手やメダリストには高学歴者が少なくない。

 が、いつの間にかスポーツマンは「脳ミソ筋肉」とやゆされるようになったのは、第2次世界大戦後、戦地から引き揚げた兵士の多くが体育教師になり、軍隊式の体罰を伴う命令服従的な体育教育が広まって以来のことらしい。

 そんな「誤った伝統」は早く払拭(ふっしょく)され、「文武両道」がスポーツ界の常識となってほしいものだ。