今月のイチオシ本


     『未来への大分岐』 斎藤幸平・編 集英社新書

                       

          岡本 敏則

 


 本書は資本主義の終わりか、人類の終焉か、という重い課題を斎藤幸平氏と3人の論客との議論をまとめたものです。

 3人を紹介する。

 マルクス・ガブリエル(1980年生)哲学者、ボン大学(独)哲学正教授。哲学界のミック・ジャガーと呼ばれ『なぜ世界は存在しないのか』は世界的ベストセラーになり、NHK『欲望の資本主義』で超有名に。

 マイケル・ハート(1960年生)政治哲学者、グローバル資本主義を分析した『<帝国>』は「21世紀の『共産党宣言』」と呼ばれた衝撃作。ウオール街占拠運動をはじめとする社会運動の理論的支柱。

 ポール・メイソン(1960年生)経済ジャーナリスト、『ポストキャピタリズム』で、資本主義は情報テクノロジーによって崩壊すると主張し、次なる経済社会への移行を予言した。

 

 斎藤氏が一人一人と議論し、3部構成となっている。議論は、深く多岐にわたり、全編読むのが最善ですが、筆者が付箋を貼ったほんの一部分を抜き出してみました。

 

 ◎斎藤=現代社会は出口の見えない債務危機や極右ポピュリズム、気候変動といった多くの問題に直面し、危機は日に日に深まっている。SNS上にはヘイトスピーチがあふれ、フェイクニュースが事実をゆがめ危機への対策を遅らせている。さらにはGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)に象徴的なプラットフォームの独占状態は、情報プライバシーを脅かすとともに、アマゾンやウーバーは不安定な低賃金労働を生み出し、貧富の格差を深刻化させている。テクノロジーは中立的なものではないのだ。テクノロジーは、知や権力を構造化し、利潤のために世界を再編成する手段だからである。ただ技術を加速させていくならば、待っているのは「サイバー独裁」、あるいは「デジタル封建主義」だろう。シンギュラリティ(技術的特異点)の時代がもたらすのは、普遍的人権や、平等が否定される「人間の終焉」かもしれないのである。

 ◎ハート=新自由主義が引き起こしている危機と取り組む際に私は、新自由主義とは緊縮政策のことであると考えるようにしています。緊縮政策とは何か。それは、財政の緊縮を訴えながら、民営化の推進、社会保障制度の解体、労働組合の弱体化などを目指す政策の総称です。つまり、富裕層と貧困層の格差を徹底的に拡大させる政策だと言ってもいい。1970年代後半に登場し、その後、世界中を席巻した新自由主義ですが、今やその矛盾が露わとなり、批判がおおくあつまって、人々の合意は得にくくなっています。

 

 【歴史修正主義】

 ◎ガブリエル=ホロコーストと従軍慰安婦は、「自明の事実」です。「自明の事実」を否定する人たちとの対話は非生産的ですよね。「ホロコーストはあったんですか」と聞かれたら、「もちろん」と答えるしかないでしょう。「なぜ、そう言えるのですか」とただされれば、「歴史の本と生き残った犠牲者たちの証言から」と答えるしかない。果ては、歴史修正主義者はこう聞いてきます。「なぜ、犠牲者と名乗る人たちの声を信用するのですか」と。でも、なぜ、犠牲者たちを信用せずに、歴史修正主義者を信用しなくてはならないのでしょう?ホロコーストを疑う理由があるかって?そんなものはないですよ。ホロコーストは、太陽系の惑星の数と同じくらい客観的な事実です」。

 ◎斎藤=歴史修正主義者たちが過大に重要視するのが、戦前の日本にもドイツにも、それぞれ固有の文化、社会的な条件、価値の基準が存在したという点です。そうした固有の条件に基づいて考えれば、当時の帝国主義的な政策を正当化してかまわないのだというのが、歴史修正主義者たちの考え方ですね。従軍慰安婦の存在は当時の状況下において正当化できると彼らは言うわけです。

 ◎ガブリエル=人権とは、人間は何かという概念の自己規定から導き出される普遍的な価値であり、それは文化的・時代的な価値観によって左右されるものではありません。人々は冷笑的なニーチェ主義者になっている。ニーチェこそがポストモダニズムを打ち立てた人物です。彼がナチスのお気に入りの哲学者のひとりだったということをけっして忘れてはなりません!ニーチェが現代に生きていたら、トランプを熱心に支持したでしょう。ニーチェが強力な非道徳的なリーダーを夢見たとき、トランプや、金正恩のような人たちを考えていたのです。

 

 【AIについて】Artificial Intelligence=人工知能

 ◎ガブリエル=AIは倫理を持っていないからです。倫理的選択のためのアルゴリズム(algorithm)は存在しないのです。倫理を持っているのは動物だけです。AIは生き物ではありませんから、人間のために倫理的選択を行うことなどできません。端的に言えば、AIは単なるシリコーン製品で、(生命の進化の延長としての)「ロボリューション」(robolution)の産物ではないからです。AIは死にません。もしあなたが生き物ではなく、不死身の存在であれば、どう生きるかは問題とならないので、倫理をもつことはできません。倫理は、死すべき存在のためのものです。AIは野放しです。現段階なら、まだAIにブレーキをかけ、魔法使いの弟子が愚かなプログラムを書かないように注意することができます。もし野放しにしていれば、最終的には、人間がみずから生み出したものに従属した全面的な監視社会に住むことになるでしょう」。

 ◎メイソン=世界人権宣言が国連総会で採択されてから70年以上がたっています。ところが中国の大學では「七不講」という政府からの通達によって「人類の普遍的価値」という言葉が使用禁止になっています。その一方で、中国政府は企業などの民間部門に対して、データと専門知識を供出するよう命令しています。あらゆるデータを国家が掌握し、普遍的な人々の権利を無視しながらAI開発を進めるというのは、果たして倫理的なことでしょうか。違いますよね。