「スポーツ報道写真」は、これでいいのか


           玉木 正之        

 1月7日から4月16日まで、横浜市内のニュースパーク(日本新聞博物館)で開催されている「2022年報道写真展」の新聞広告を見て驚いた。

 4枚の写真のうち一番大きいのが《ついに出た! 村神様56号》と題された1枚。はたしてこの写真が《東京写真記者協会に加盟する新聞・通信・放送35社の記者が22年に撮影した報道写真》の中で、「ウクライナ戦争」よりも大きく扱われるものなのか?

 おまけにその写真は、王貞治氏を上回る本塁打を放った瞬間ではなく、その後のガッツポーズ。もう1枚の「ドーハの歓喜」と題されたサッカーW杯対ドイツ戦の写真も、堂安選手が同点ゴールを決めた瞬間ではなく、その後に選手たちが抱き合って喜ぶ写真。スポーツの瞬間を写したものではなかった。

 「報道写真展」の広告の4枚の写真のうち2枚がスポーツ関係とはいえ、スポーツの迫力に驚くような写真でなく、言葉による説明がなければ何だかわからない写真だった。

 報道写真展のホームページに取りあげられていた3枚の「スポーツ関連の写真」も、「北京冬季五輪女子スケート・パシュート団体の表彰台」「国体ご臨席の天皇皇后両陛下」「Jリーグ横浜Fマリノス優勝セレモニー」で、スポーツの瞬間ではなかった。

 パシュートは、最後のコーナーで姉の高木菜那が転んだため金メダルを逃したのを、表彰台で妹の高木美帆が慰めている写真だった。が、レースで転んだ瞬間(スポーツの恐ろしさ)を捉えたような決定的な写真が見たかった。

 スポーツ以外のウクライナ戦争の写真も女性が祈りを捧げている写真で、戦争の瞬間(悲惨さ)を捉えた写真ではなかった。報道写真は、「物語(ドラマ)」ではなく「現実(リアル)」を映し出してほしいと私は強く思う。