昭和サラリーマンの追憶 

              

      

 

           前田 功


 未婚率増大に思う

 

 少子化対策だとして、国会やテレビ・新聞では、児童手当など子どもがいる家庭への支援ばかりが議論されている。子どもを育てるための支援も大事だが、子どもは男と女が結びつくことによって生まれる。少子化の前に結婚する男女が減ってきている。未婚率の増大だ。

 

 今の時代、50歳男性の4人に1人が、一度も結婚したことがないのだそうだ。筆者の現役時代、50歳になって結婚したことがない人なんて、100人に1人いるかいないかという感じだった。 

 昭和の時代、損保業界では、女子社員は、「寿退社(結婚したら退職する)」か「出産したら退職する」のが一般的だった。「腰かけ」就職という言葉もあった。22歳の4大卒より20歳の短大卒の人の方が少しは長く在籍するだろうと短大卒採用が多かった。「親元から通勤に限る」というのも、家庭がよくて身持ちが固い女子としての条件とされた。独身男子社員の嫁さん候補としての期待が込められていたのだ。

 

 新人研修は、男女一緒に行われることが多かった。研修で一緒になり、顔を知り、言葉を交わす。また同期会という飲み会も何度か行われる。社内旅行に一緒に行くこともあっただろう。そういう機会が何度か重なり、お互いの人となりを知ることになる。そして何組かのカップルが生まれた。結婚式は、上司が仲人役をすることも多く、まるで会社の宴会のように社内の人が多かった。

  当時、見合い結婚がだんだん少なくなり、恋愛結婚が多くなってきていた。社内結婚というのは、恋愛結婚の範疇に含まれるのだろうが、会社をあげて出会いのきっかけをお膳立てしていたと言うことができる。

 

 結婚しない人が増えている原因はいろいろ考えられる。

  まず、いちばんに考えられるのは、カネの問題である。いまの時代は、昭和のころと比べて、働く人の実質賃金がかなり下がってきている。この給料では結婚しようという気が起きないと思う男性が多いのだろう。非正規雇用で収入が不安定だという人も多い。

 一人口では食えないが、二人口なら何とかなるという言葉もあるが、まじめに人生設計を考える男性は、まず自分の収入で結婚して子どもを作って生活が成り立っていくかを考えるのではないか。

 

 昔の話に戻るが、当時、男性についてだけであるが、親元の自宅から通えないところに勤務地が決まった者には独身寮が、独身寮がない地域では単身者社宅が与えられた。寮費とか社宅家賃は、街の賃貸相場からはかけ離れた安さだった。その分、結婚準備資金として蓄えることができた。

  そして、結婚となると、上司や人事担当は、「そうか、あいつも結婚するか。じゃー、転勤させて、社宅を用意してやらなきゃ」となる。結婚して賃貸の住宅やアパートに住んだり親の家に同居したりしている者が転勤すると社宅が与えられた。また転勤で、元の地域に戻ってきても、その人自身の所有の家がない限り、社宅は与えられた。社宅家賃は世間相場に比して安かった。そして、年が経ち、年齢とともに給与も上がり、住宅ローンの頭金もできたところで、自分の家を持つようになって、はじめて社宅を出る、というのが一般的だった。(家を持ったら、また転勤で、今度は単身赴任ということもあったが・・・。)

 

 このように、当時の会社には、社員をほんわかと処遇する余裕があった。しかし会社はその後、その余裕をなくしてしまった。職場は闘いの場となり、ギスギスとして職場恋愛なんてやってる暇はなくなった。さらに加えて、「コンプラ、コンプラ」で、職場で異性の美貌を褒めたりしたら、「セクハラ」だと言われかねなくなった。そして職場結婚は減少していった。

  見合い結婚もそうだが、職場結婚が多かった背景には、男性は外で仕事、女性は家庭で家事・育児という明治以来の「伝統的」家族観がある。その考えのもとでは、結婚を「永久就職」と表現していたとおり、女性にとって結婚とは生きるための就職のような位置づけだった。一般的には結婚しないという選択肢はなかったとも言える。だから、ほぼ100%が結婚していたのだ。

 

 冷静に考えれば100%が結婚していた状態こそ異常と言える。結婚しないという選択も生涯子どもを持たないという選択もあっていいと思う。

  ただ、結婚したいけどできないという人たちも多いのだ。自力で結婚している人もいるではないかという声もあろうが、狙った異性をゲットできる恋愛強者は男女とも3割くらいしかいないそうだ。

  ほとんどの人が24時間のうち多くの時間を職場で過ごしているが、職場は出会いの場としての機能を放棄してしまった。

  新自由主義による職場の荒廃は、こんなところにも影響しているのだ。