今月のイチオシ本


     『ぼくらの戦争なんだぜ』高橋源一郎 朝日新書

                       

          岡本 敏則

 


 今月も高橋源一郎の本を取り上げる。初出は朝日新聞社が発行する季刊誌「小説トリッパー」の連載。今回は「戦争」について。

 冒頭は中学生のころ家に来た祖母の親戚の男の人の話。その人は「満州に住み、敗戦時の混乱で、家族をすべて失い帰国した。満州の日本軍(関東軍)は、ソ連の参戦を知って、先に逃げた。軍隊は最後に国民を裏切るからね。長生きして、この国が滅亡するところを見たいね」。

 次に氏は、戦前の教科書を読んでみる。国は子供に何を教えていたのか。小学2年生の『ヨイコドモ下』「日本 ヨイ 国、キヨイ 国。世界ニ 一ツノ 神ノ 国。日本 ヨイ 国、強イ 国。世界ニ カガヤク エライ 国。」次はドイツ、フランスの高校歴史教科書。ドイツ『歴史の時刻表』、19世紀以降現代までを記述したもので690頁ある。ナチスドイツに割かれた分量は130頁。

 「第3章 ヨーロッパにおける国家社会主義の独裁政治―第一次大戦後、ドイツ国家が破局に至った後、なぜドイツ人は改めて再び戦争へと向かう道を選ばされたのだろうか?なぜ国民の大多数がナチス体制に従順であったのか、またこのような体制への反対者たちが、なぜ最後まで少数派に留まり続けたのだろうか」と、生徒に問う。フランス歴史教科書『フランスの歴史【近現代史】19世紀中ごろから現代まで』、700頁ある。「・・人種差別的な犯罪、〈歴史修正主義〉理論の擁護、あらゆる種類の挑発、悪気はないと言いながら発する言葉の端々、そうしたものは、じつに同じ源を持っている。ユダヤ人民の記憶、収容所での苦しみを伝えること、体験を語り続けること、過去の過ちを認めること、国家による過ちを認めること、われわれの歴史の影の時代を白日のもとに引き出すこと、それは人間を守り、人間の自由と尊厳を守ることに他ならない」。

 次は昭和19年(1944年)10月発行された「日本文学報国会」編『詩集 大東亜』。参加した詩人、佐藤春夫、西条八十、千家元麿、滝口修造、壷井繁治、土井晩翠、堀口大學、室生犀星など189名。

 序文は高村光太郎、書き出し「ただ是れ利ゆゑに吾が神国を窘めんとする米英等醜のともがらを悉く打ち祓ひ、吾が神ながらの道と徳とによって清めんとする此の聖戦のみ旨を、われら臣民一人として知らざるはない。されば畏くも宣戦の大詔を拝して勇躍戦に赴くもの皆瓦全を欲せず、死地に入ること家門に入るがごとく・・・」。

 堀口大學「あと一息だ」「国運賭けたみいくさに/しこのみ盾と戦って命ささげた益荒男の/不滅のてがら忘れまい/東亜を興す大使命/いまの痛みは生みの苦だ/鬼畜米英ないあとは/民十億の楽園だ/敵もさるものさればとて/邪はそれまさに勝ちがたい/ 勝つときまったみいくさだ/あと一息だ頑張ろう」。

 太平洋戦争開戦前夜、中国大陸に出征した兵士六人が、戦場でひそかに書き、持ち帰った詩を集めた詩集『野戦詩集』(昭和17年刊)が1984年発見された。加藤愛夫「野戦病院」「灼熱と黄塵の中に運ばれる担架 担架/或る者は仰向きに或る者は俯きに 血に染まり/看護兵の水筒を握って 水を 水をと言ふ/野戦手術台に軍医等汗をふき 山なす血のガーゼに溜息す/高粱殻にアンペラの土間 患者ずらりと並び/横の家には祖国の柱となれる人々眠る/ああ 荼毘の庭に風はいつともなく祖国へと吹く」。

 次は日本の作家の「戦争文学」。まず「戦争小説」の代表大岡昇平の『野火』。氏は高校生時代から何度も読み衝撃を受け感銘もした。しかし今回読んでいくと?がわいてくる。「今は違うのである。ことばが遠いということだ。僕たちから遠いところ所にいると感じられる。『野火』は戦争文学の頂点に立つ。〈戦争〉を描いて、これほど、その本質に迫ったものはない。そのことを、ぼく認める。だが、同時に、〈戦争〉について考えるとき、『野火』を傑作としてうけいれることを、ぼくはためらうのである」。では氏が受け入れる作家はというと、向田邦子、林芙美子、古山高麗雄、後藤明生、そして太宰治。太宰を「戦争小説家」と呼び、「十二月八日」、「散華」、「惜別」という作品を通して分析していく。そして結論は「ぼくは、太宰治の全作品を読み返しながら、もしかしたら、平和の時代であったら、彼の作品は、あれほどまでに素晴らしいものにはならなかったかもしれないと思った。太宰治は、〈戦場〉の作家だった。〈戦場〉でこそ生き生きと輝く作家だった。世界が、焼き尽くされようとしているときでも、いや、そんな時だからこそ、そこに、〈文学〉の〈戦場〉を作り出すことができる作家だった」「太宰治は、ぼくがもっとも好む作家だった」。氏は五味川純平『人間の条件』、大岡昇平『レイテ戦記』、武田泰淳『蝮のすえ』、大西巨人『神聖喜劇』、野間宏『真空地帯』、大江健三郎『飼育』などには一切触れない。

 最後に、もう一つ、ドイツ、フランスの少なくない青年たちがあれだけの歴史教科書を勉強しているのに、なぜネオナチ、右翼を支持しているのだろうか。教科書は本当はそんなに力を持っていないんじゃないか。オランダの若い世代への世論調査でナチスのホローコーストを「フェイク」と答えているのが40%いる。気持ちのいい言葉しか耳に入ってこない、か。「ニホンダイスキ、アベダイスキ、タカイチダイスキ、ヒロユキダイスキ、イシンダイスキ」・・・・。